本を買う霊感

 前に「ライトノベル読みに本当に聞いてみたい10の質問」へ回答した時に、

「新刊を買う時の基準」

 で書いた、

「霊感」

 について、聞かれてもいないのに話してみます。 ええ、リサイクル精神と言う名の手抜きです。
 さておき。
「霊感」といっても具体的には「表紙や口絵の作りからにじみ出てくる何か」とでも言った方が良いかもしれません。 というかそう言ってました。 普通に見ていては「霊感」以外の何者でもない部分ですけれど、実際そこにはなにかの私的とはいえど規則、法則性が有るのではないか、と思うのです。
 つまりは私がその本に「惹かれる」部分とでも言いましょうか、そう言うものの最初にまず「表紙」、「口絵」、「デザイン」があり、それは私的不文律がある、ってな事ですね。
 では具体的に、いろいろと例をひいてどの辺に惹かれたかを考えてみます。 例が至近のものに集中しているのは、印象が強いのがその辺りだからです。
<ケース1:うえお久光悪魔のミカタ」> 
 完全な一目惚れ。 いまだに理屈不能の大直感。 表紙で「これだっっっ!」ときて、口絵で「こっれっだっ!」ときた。 口絵部分の人物紹介が他人の口からの評伝だったのが一番の決め手だったのかと、今では思う。
<ケース2:壁井ユカコ「キーリ」>
 雑誌(電撃PS)広告での変化。 備忘の為にも書いておきますけれど、電撃PSに最初に載った表紙イラストってバックの風景が青空だったんですよ、最初。 それが発売時期が近くなったら突然夕焼けに変わってたんです。 で、グッと「キーリ」という作品の雰囲気を表しているように感じたんです。 で、実際そのとおりでしたし。 この変化がもう、すごい印象的。
<ケース3:成田良悟バッカーノ!」>
 口絵部分のイラストと文章の組み合わさり方ですね。 いまでこそ成田良悟大好きっ漢な私ですが、実は「バッカーノ!」は発売日まで買うかどうか迷ってました。 スルーしようかなとか考えてたんですよ。 それが、当日本屋で手にとって口絵を見た瞬間に「買うしか無いっ!」と。 文章とイラストのバランスが良かったと感じたんでしょうか。 よくわかりません。 ちなみに「バッカーノ!」で一番好きな口絵はガンドール三兄弟がポーカーしながら待ってる所です。
<結局>
 いろいろと見ていきましたが、法則性は良く分かりませんでした。
 それはまあ分かってたからいいとして、結局私が「霊感」を必要とし、発達させた背景はなんだろう? というのが疑問として浮かびます。
 それは「霊感」などという、いわば「非科学」ともいうべきものを持ってこなくてはならないほどに、本が「同じ」に見えるようになってしまった、というのがあるのではないか、と考えます。
 実際の所、「文庫」というものはどのレーベルでもほとんど同じ形、同じ大きさ、同じ紙、同じ表面処理です。*1 一律に同じ型を作る事によって多種を大量に量産しやすいようにしているわけだから、それは当然なんですけれども、同じゆえに、その違いぱっと見では分かりにくくなっているわけです。
 その中で一番分かりやすい差異を、ライトノベルの場合は若年向けという理由もあり*2他のどの分野の本よりも、より強く表紙イラストに求め、その違いを出した、と思うんですが、これもいつのまにかそれ自体が「同じ」ものとして定着したもんだから、またぞろ違いが分からなくなったから困り者になっちゃったんじゃないかしらん? とか。*3
 そういったわけで、本の「違い」が分からなくなった(あるいは分かりにくくなった)がゆえに、私はライトノベルを買う時に「霊感」に、表紙絵や口絵にでてくるほんの少しのこだわりの差に気を払うようになった、ということなのかもしれません。
 「つまり、生活習慣病だな」
 なんですかその喩え。

*1:当然若干の違いは有ります。スーパーダッシュファミ通文庫とでは紙にだいぶ差があったりとか

*2:だからいわゆる漫画絵を使ったわけです。「若い=漫画」という単純ながら確かな考えといえます

*3:余談ながら、絵師の数と傾向と知名度が、黎明期と現在ではやたらめったら変わった事は特筆すべきですが、漫画絵からエロゲへとかいろいろと入り組んできて今の所私には語れないのでここでは割愛します。誰か考えて。「またか。他力本願」