「面白い」について

川上稔氏の不定期俺日記ver.2の相変わらずのバカぶりを堪能しつつ、「この人、あと二三年は終わりのクロニクルネタで遊べるな」とわけも分からず感心してみたりしてますが、それはさておき。
この話をぼんやりと見てましたら、「面白いには『身体的』と『文化的』の二種類がある」とか思ってみたり。
前者は「脳内麻薬系反応」で、同じ様にすれば万民すべからくほぼ同じ反応がでるタイプ。 ランナーズハイとか瞑想修行とか麻薬ですね。
後者は「後天性反応」で、ある文化圏(広義でも狭義でも)に根ざした理論を体に覚えこませないといけなくて、その為同じ「面白さ」でも人によって千差万別の反応を示す、と思います。
で、特に後者の、獲得性面白さには獲得するまでに少なからず時間がかかる=有限しか持つ事が出来ない、と言う感じで人間の感じる「面白い」は限定された物にしかならないんじゃないかと、考えているんですが、さてどうやら。
さておき。
例として、私は「動かざること山のごとし」で笑うことが出来ます。
この為にはまず「テニスの王子様」を知っている必要があり、次にそれに出てくるキャラ「皇帝」真田の必殺技が(テニスなのに)「風林火山」である事を知っている必要があり、そこからさらに、最近それが出たのが「俺様の美技に」跡部というキャラの回想だった事を把握しておく必要があり、その上でその回想で、なぜか真田に勝負を挑みに来た跡部が、真田の「風林火山」の「動かざる事山のごとし」で、一回も得点を入れる事が出来ずにボロクソ一方的に負けていた事を見ている必要があり、そして最終的に一回だけボールを返した途端「フフフフ・・・・・・ファーッハッハッ 完成だ!」といってそのまま試合放棄して帰ってしまったというのを目撃したのを思い出すことで、己の中で笑いとして完成します。
これが「文化的『面白い』」の極めて極端な例です。 重ね掛けする位特殊な例です。
かように、文化的『面白い』は個人によってたつものなのであります。