荒山徹先生の「サラン 哀しみを越えて」を読んだ一日。

 サラン…サラン…。噂にたがわないひどさで感動しました。つい最近の流行をもじってあの名台詞を日記タイトルにしたくなるほどです。なんか一本取られたから取り返したくなったの。
 なんだかイティイズントマイビジネスな事を書いたんで続き記法にしとこ。
 あー、蛇足ながら件の猫の件で感じるのは、事に対する諾否よりも、ネタか否かよりも、「そいつは実際そういうことするタイプorノー?」です。よくよく「リンクあるいはブックマークされた記事しか読まれない」云々を愚痴するわりに、他人に対しては普通に「リンクあるいはブックマークされた記事しか読まれない」のは言行不一致なんじゃないのかなぁ、とか。知らないのに語るなあるいは語る資格はない、とは言わないですけど、知らないで語るのは知ってて語るのに比べて格段につまらない、ってのは肝に銘じてほしいなぁ、とも自戒込みで思います。
 まー、小説家なんて嘘吐くのが仕事なんだから、言った事書かれた事を鵜呑みにするなよ。自戒込み。
<追記>
 トラコメ遊びの白翁さんの、

 この記事が各所に問題を引き起こしている理由は、多くの日本人が基本的に持っている価値観、「命は大切である」ということと「周りに迷惑をかけてはならない」という二つの事柄がコンフリクトを起こしているからだと思う。

 あたりに、なんとなく納得風味。
 ちょっと違うのは、これがこじれる原因は「命は大事」と「周りに迷惑をかけない」の二つの価値観のかみ合いよりも、それら価値観の個人における度合いと、世間一般における度合いを区別せずにごっちゃにして語ってしまう事なんじゃないかなぁ、と思う事。つまり「世間的にダメ」と「俺としてはダメ」の区別がつかないで話をして、焦点が定まらない対話になっちゃう。それが「命大事に」と「周りに迷惑をかけない」の二つの割合で立ち位置が変わるこの話だと、余計に目立つ、と考えてみたり。

 たぶん日本人ではなかったら、「そんなの気にせず野に放しちゃえばいいじゃん」の一言で済んでしまうのではないだろうか。

 で、この一言にすごい納得。まあそこまで日本人に限定の話でもないか、とは思うけれど、この自己撞着というかドウメグリマグラミは日本人特有かも。あれ? どっちだ?