完徹モード!

ちょいと川上稔AHEADシリーズ 終わりのクロニクル」をごりごり読むことにしてみるお薬34日目。 三巻がやっと読み終わったので四巻を上下まとめて一気に読みきってみるつもり。 三巻は<下>の中盤から今まで溜めていた物をガガガッと叩き流してきてまして、やっぱりこういう勢いは上手いなあとか、変な長廻し台詞がいいなあとか。 その勢いでついつい昨日の日記に写経してしまいましたよ。
しかしなんというか、夜のほうが調子がすこぶるいい。 というより朝昼の調子が悪すぎるというべきか。 夜になると全く眠れないのに、朝昼は余裕綽々で眠れるのはなんか病気か? いや今現在はある意味病気なんだけど。 単純に集中力の問題で、外に出て行動する事があんまりない状態だからかえって集中できるとかか?
朝昼には「外に出る」という選択肢と「他の人は働いている」という事実と、それからくる自分への嫌気があるからそれが抑うつとする原因かもしれない。 難儀や。
後、話題な名前でアクセス数微増作戦は昨日を持って終了する事にする。 外法且つせこい手だが、確実に効果があったようだ。 というか来過ぎ。 カウンターももうちょっとで終了なので、あと少しの間でいろいろと試しとかないとなあ。

 別世間仮説とおじいちゃんと対話

日記海燕さんとこのこれから思考をはじめます。
大谷のおじいちゃんの「議論を避ける態度」というのはどこから生まれ来るか。 それは海燕さんもいってるように、

そういう態度をとっていれば、たしかに大失敗を犯すことはないだろう

という事から生まれてきます。 つまる所「大失敗」さえしなければ何の問題も無く世の中を渡っていける事の裏返しです。 いや、おじいちゃんくらいになると「大失敗」してすら渡っていけるだろうとも思えます。 既におじいちゃんはキトクケンエキだけで食っていくだけの素地、仮にいえば「自己世間」がある。 その「自己世間」の内に失敗を持ち込まなければ、何の問題も無いのです。
ゆえに「別世間」といえる「オタク」に対して平気でむちゃくちゃを言えるのです。 なにせ「別世間」の事ですから自分は傷つきません。 そしてその「別世間」から何か言われても「自己世間」があるので痛くも痒くもないのです。 そういう態度に対し、海燕さんは、

しかし、誰がそんな人間の言葉を尊重するだろうか。「正面から対話しようと思えばできる」という態度は、いつまでたっても実際にそうしないという事実の前に、いずれ説得力を失うだろう。

といってますけれども、これはちょっとずれがあるんですね。 「そんな人間の言葉を尊重する『世間』」におじいちゃんはいるのです。 「また変なやつらが噛み付いてきましたよ」って言ったら「おお、それは全くけしからんですな」と答えてくれる「世間」の中にいるんですね。 だから亀甲羅に閉じこもる方法で「別世間」から反感を買っても何にも問題に感じない。 その辺に今回の件の根深さというか面倒くささがあるのです。
ではどうやって対話するのか? これはなかなか難問です。 こっちが対話の姿勢を見せても、対話無しで片付けられる「自己世間」のある人が、わざわざ傷つく事を覚悟して「別世間」に飛び込んでくるわけが無い。 そんな事をしなくても生きていけるなら、するわけが無い。 利を切る事などするわけが無い。
そうなると相手の「自己世間」を土台から崩して、生きていけなくするしか対話への道はないとすらいえます。
もしかするとこの難しさが、日本における対話の難しさに直結していると言えるかもしれません。 なにせ相手が無視してしまえば対話は成り立たない。 そしてそういう空気、「世間」を殆どの人が持っている。 これでは対話のしようがない。 そしてその事実がまた、対話をしにくくする「世間」となる。
日本ってのはこういう循環で成り立っているのかもしれません。

 無理だって。

完徹はやはり無謀という結論に達して寝た。 やっぱり昼はテンションが下がるなあ。 厭世感で胸が一杯だー。
感想を書き連ねようかと思ったけどやる気が全くでねー。 あー、やべぇ すにてぇ。 あああ。 もうそういう時期なんじゃないかと思ってしまうああああ。 だめだだめだよう。 明日映画観に行くんだろう? 1000になる日だからってはしごするんだろー。 駄目だ状態になっちゃそれこそ駄目だよー。 あーでもだめだあああ。 鬱々打つ現鵜撃つ通現に移す。 なにがなんだかさっぱりわからんちんだ。 うおあおあおあ。 書いてもかいてもさっぱりしねえ。 どうしたらいいんだろう。 あううぅ。 こんな文章、嫌がらせ以外のなにものでもないな。 知った事か。 うだるようなだるさだ。 もう寝るか。