ブームと自分の立ち位置

前にも似たような事を書いた気がしないでもないですが、乙木の記さんのこちらより思考を開始します。

面白いことにこうしたマスコミの動きに対して、ライトノベル業界の動きは二つある。

  1. マスコミに対して誤解と情報流出を怖れ、堅く殻を閉ざす編集部
  2. 積極的に利用して打って出ようとして、戦略を進めている編集部

そのどちらが結果的にライトノベル業界全体にとってプラスになるかどうかは、オイラには分からない。……というか分かっている人なんていないんじゃないか?
実はこれは編集部だけではなくて、小さいレベルに置いてはライトノベル関係を扱っているサイトにも言えることでもある。
さて、貴方のサイトはどっち?

私の答えは
3,自分のいる場所
ですね。 1、2ともに含みつつ、それらに拘泥せずに独自の立ち位置に立てれたらいいなと思います。 そもそも1、2しかないとは決まってるわけでもないですし。
さてさて。
今回の思考の勘所はそこではありません。 古畑リュックドムさんが寄せたコメントにあります。 抜粋してみましょう。

(前略)昨今のガイドブックもなにか政治的な意図というか、ブームにしたい「なにか」があって、それによって無理やりブームに仕立て上げられているように見えます。(攻略)

ここですね。
私といたしましては「ライトノベルという範疇」が「政治的な意図」で「無理やりブーム」にさせられているとして、はてさてそれがいけないことであろうか、と考えるわけです。 他律的に誰かの得の為に動いていけないのか、ということですね。 これはここで言う「誰か」とは誰に当たるのかで対応が違ってきます。
この「誰か」が作者や編集者、読者といった直接的に関係してくる人なら問題とはならないはずです。 そもそも既にお互いの得関係――作者は本文によって、編集者は本を作る事によって読者から金を受け取り、読者は金を払う事で本を得る――が成り立っているわけですから、元の問いが立てられない。 ゆえに、上記で言う「誰か」とはこの直接的な関係の外にある人達に他ならない事になる。
それでは「関係の外にある人達」とは? つまる所、「ライトノベル」に関わる人ではなく「ライトノベルについて」に関わる人になろうかと思います。 そういう人達が「ライトノベル」によって自分達に得をうるように動いてはいけないのか?
これは条件さえみたせば何の問題も無いのです。
その条件というのは、「直接的な関係に回るお金に手を出さない事」です。 つまり「ライトノベルの範疇以外からお金を引っ張ってくる」ならばどう動いてもかまわない。 文芸からはもちろん、映像関係や評論の分野、漫画やゲームにいたるまで、どこからであろうとお金を引っ張ってこれるなら何の問題がありや。 いや無い。 つまり多分に「政治的」であってもブームによってお金が回ってくるなら上々。 ブームがムーブとなってお金の流れ方が変わるならそれは大変面白い局面だといえるでしょう。
で、むしろ問題になるのはそういうお金が流れてきた時に、「ブームに当て込んだ商売を仕掛けて、しかしそのブームが瞬く間に消えてしまって商売に失敗する」、または「本以外にお金を使って、本自体に使わなくなる」という形なのかもしれません。 この辺はちょっと気をつけたいですねえ。