『デスノート』最終回・鎮魂歌を読んで。

 終わりましたね、「ですの」。
 という社交辞令をしながら、普段しないような事をしてみたくなったのでしてみます。一点だ
け。

 月が敗北したのは、彼が堕落したからだろう。
 だからといって、キラの行為すべてが間違っていたと言い切れるのだろうか。
 作者は「堕落した夜神月」は断罪するが、「正義の殺人者・キラ」を否定していないのではないだろうか。  

 「正義の殺人者」というのは先人として「必殺仕事人」がある。
 その製作陣は仕事人達の行動(=殺人)をどう思っていたのか。
 中村主水が頻繁に「どうせ俺達はろくな死に方はしねぇ」に類する事を言い続ていた。
 仕事は常に闇から闇で、賞賛の光を浴びる事は無い。
 仕事人の存在を知っている人は知っているが、その『仕事』が表立って賞賛される場面、というのはない。
 むしろ、国家権力に狩られる事すらある。
 そして「ろくな死に方をしない」は実際に鍛冶屋や主水の無残な死に方によって証明される。
 「正義だろうが、殺しは殺し」「やるのもやられるのも、同じ穴の狢」。
 それが仕事人の製作者の意志ではないか。
 では、月は、デスノートはどうだったのだろうか。
 月は言われる。「ただの人殺しです」
 月は言われる。「こいつは殺さなきゃ駄目だ!」
 月は言われる。「あんたなんか神じゃない!」
 月は言われる。「お前には失望した」
 月は結局、散々にこき下ろされ、文字通り地を這う。
 そして、“死”を思う様自在に操ってきた月は、その“死”を賜う。
 月は、否定されたのだ。
 同時に、キラという新世界は、Lに始まりニア終わる現世界のレジスタンスよってに否定された。
 だから、「正義の殺人者」に対する作者の思いも、またそれに準じるのではないか。
 だが、「デスノート」は?
 あー、駄目だ。 なれん事をして脳みそがオーバーヒート。ここらが限界。
「結論。そうね。デスノートの有効性は誰も否定しなかった、って事で」
「そうですね」