何がライトノベルか、について。

 時期が外れたのでそろそろいいか。
 いつだったか書いたけれど、論争する魔/間があればその力を読む方に向かわせればよろしいのに、と常々思っている。「ライトノベル」が何かについて考える、という行為ははっきり無駄とは言わないまでも多大な労力がかかるものだ。
 情報を集め、処理し、まとめ、書き出す。これらの労、というのはやった頃もあるからわかるがバカにはならない。しかし、それらの労を読書に使わないのは、読み手として違う気がするのだ。
 読者、つまり読む者としての重心はあくまで読書行為にあるべきで、語りにあるべきではないのではないか? とか最近は思うのである。
 語りたがる面々に問いたい。何のために本を読むんだ?
 とかなんとか。

補記

 これも前に書いたけれど、ジャンルを決める、というのは結局読む/読める範囲を決定することに等しいんじゃないか、と。
 ある本がライトノベルと決まったとしよう。
 だったら、どうする?
 読むの? 読まないの?
 読ませるの? 読ませないの?
 どっち?
 と、相成るわけである。
 お前それでいいのか? なにか決められてないと読めない、なんてそれでいいのか? 
 と思うわけである。
 あなたはどうでしょうか?(無茶ぶりオチ)