唐突に、脳に浮かんだシリーズ いち

 脳洗浄の為に、脳に浮かんだ言の葉を書いておきましょうか。
みなみけ」(以後無印)と「みなみけ〜おかわり〜」(以後おかわり)との差は一話の“流れ”の差にあると見たわけですよ。
 普通のアニメ*1では一つの話に“流れ”はそう多くは無い。主流といえる本筋一つと、伏流といえる伏線が一つ二つなものである。アニメ版「バッカーノ!」みたいに事態5つ6つズバロロロロロと展開するのは、まれにもほどがある。
 で、その観点で無印およびおかわりを見れば、違いがずずいと見えてくる。おかわりのほうは、一話の流れ、というものがわりとしっかりのに対し、無印は流れというものがぶつ斬りぶった斬りの回が点在するのだ。
 特に例として使いやすいのは8話「ほさか」。この回は名前上ほさかが主役の回のように見えて、しかしその話の流れはぶつ斬りの連続である。ほさかがシュミレート(妄想)を経て唐突に春香と接点を持とうと動く、かと思ったら途中で特に意味も無くフーセンガムを膨らませられるられないの流れが挿入され、結局その話はスルーの形でほさかの流れをぶった斬る。その後、今度は弁当をどうとか言い出したりするけれど、やはり接点はもたれない――微妙にもたれるが――という部分はスルーされる。*2
 普通のアニメなら一つの流れを尊重するはずが、無印は細切れな流れをいくつも組み重ねて一つの話を作っていると思う。
 こういうのって意外と少ないような気がするのは気のせいだ。起源はどっかにありそうだけど。オムニバス的な4コマ漫画の流れ、といったら意外とあたってそうである。ああ、「らき☆すた」とかも同じタイプのスタンドだったのかなあ。いやあれはもっと細切れというか細切りだった気がする。あれも、後半流れを復帰させてた気もするから、意外と受け入れられづらいものなのか?
 とかなんとか。

*1:に限らない気もするが

*2:最終的には南家の話(ごはん話)から少し流れが接続されるが