まあ見られないかもしれませんが。

たそがれSpringpointさんのここでの「哲学者」はおそらく中島義道のおっさんではありません。 なぜかというとあのおっさんがいちいちそんな悩みを聞く人じゃないからです。
引きこもりに関しては新潮新書の「ぐれる!」で「私に近いタイプの引きこもりには…」と前置きして「親が姿を消してしまうという方法がある」(意訳)というのは書いてましたけども、それ以外についてはまったく言及してませんでした。 なので彼の人の自分に関係しない事にはまったくどうしようとも思わない性質からして、そういう質問には「そうですか。 でも私にはどうすればいいか分かりません」なんてそっけない言葉で返すでしょう。
それに「生んだ事が悪」なんて言うとも思えません。
生まれた事に対しての悔恨はあるようですけれど、「悪」と断じた事はないはずです。 「私はどうして生まれ、生きて、そして必ず死ぬのだろう」というのがあのおっさんの基本ですし。
というわけで、なぜかおっさんの弁護をしてしまいましたが、なんでだろう? まあおっさんへの変形した愛情なんだろうと思います。
あ、最後に。
中島義道のおっさんも「哲学はなんの役にも立たない」っていう人で、私も「そうだなー」と思ってたりします。
なにせ「“ある”というのはどういうことなのか」なんて単語レベルで悩んでしまう時点で世の役に立つはずがありませんからね。