デカレンジャーの戦隊物に対する強き思いについて。

特捜戦隊デカレンジャー」が大人にも子供にも時代を超えて受け入れられるのは、いままでの「戦隊物」の流れを敬いつつ新たに作り直すために作っているからだと思う。 なにせ作ってる世代がそろそろ「秘密戦隊ゴレンジャー」を幼少にみてた頃ともろにかぶるのです。 ゴレンジャーは本放送が1975年に開始→その頃幼少の人たちは今30後半から40代→製作の中心にいる時期という図式ですね。
ゆえにその思いは半端ではなく、随所に戦隊物を愛=理解しているが見受けられます。
たとえば主役五人の配色とキャラ分け。 これは「ゴレンジャー」をリスペクトしつつも、きちんと独自色をだしてます。
特に宮内洋がゴレンジャー一代で作り上げた*1「青=キザでクールな二枚目で天才肌」というイメージを、デカレンジャーでは「青=キザでクールな二枚目を演じきれない三枚目で努力家」へと上手くシフトチェンジして、存在感を出しています。 それに「狙撃が上手い」といのもアオレンジャーの武器が「アーチェリー」だったことに由来しています。
他にも、「五人で撃つ必殺武器でのキャラの配置は、『ジャッカー電撃隊』のそれであるが、真ん中に来るのはその回のメインの人で、ボスや赤キャラだけじゃない」とか「デカマスター宇宙刑事リスペクトながら、きちんとそれとかぶらないように必殺技は下半身が妙に動かないし、剣を両手を用いる。(宇宙刑事は片手)」とか、「敵の幹部が後半まで顔出ししてこない」とか、いかにも「俺たちの手で戦隊物が創れるんだ!」という喜びに打ち震えつつ、先人の遺産を上手く使いこないしているのがわかって、昔の戦隊物をちまちまと見ていた子供だった自分はなんとなくうれしい気分になるのでした。
元ネタ知らなくても面白く、さらに元ネタがわかればもっと面白い。 ある意味理想的な形ですね。

*1:これはこれですごいよなあ