意外とゲームな日

 弟(仮)が買っていた「大神」をやらせてもらう。
 楽しい。
 探索型アクションとしての出来が尋常ではない。
 ちなみに、探索型アクションの出来というのは私見では、

  1. 世界を歩きまわる楽しみ
  2. 謎を探索する楽しみ

 の二つに分類している。このどちらも非常にうまく、それゆえにたのしーのが「大神」だす。
 世界の方は、わんちゃんの走りが速い為、ただ走り回るのが十分に楽しめるのがいい。従来のものでも、たとえばSFC版の「ゼルダ」とか「スーパーメトロイド」にも「如何にダッシュだけで動ききるか」という楽しみ方があったけれど、これはその正統進化。走りきるのは意外に難しく、ゆえに出来れば非常に気持ちいい。当代チックに言うと、「真・三国無双」で初めて馬に乗って敵を無視してただ走った時の感覚とか、「戦国BASARA2」の長曾我部元親固有技の火乗りでゴーとかの快楽、とか言えばいいのだろうか。
 探索型アクションでなぜこれが廃れたのか不明なくらい、もう、これだけで十分楽しいの。
 それから、謎の探索、というか謎を解く能力を得る楽しみ。
 こういう能力というのは増えれば増える程、応用時に「どうすればいいの?」となりやすいものですが、このゲームのメインである「筆しらべ」の場合は、基本的に「丸、線、塗りつぶし、点」の四種の使い方と使う局面の差だけ、という非常に簡素ながらも考えられたシステムな為、混乱が非常に少なく、且つ適当に使っていても状況が打破されたりするのが好感度が高いです。
 で、さらに能力が増えるというのは、世界の中で歩き回れる場所が増える事に直結するのが、探索型アクションの最大の醍醐味なわけです。
 が、これは作り手側から言うと「どこまでプレイヤーを行かせるのか?」という問題に直結する事でもあります。2D時代と違い、3Dは世界を広く作れるがゆえに「見える所にいけれない」という不満が付きまとい、それを打破、あるいは避ける為に「行けそで行けない所の多い箱庭」になりがちでした。*1
 では「大神」は違うか、と言われると実は違いません。ただ「行けない」の見せ方が非常に巧い。たとえば妖気が満ち満ちている為に進めない。たとえば遠い所を自分のいる所とは違う描き方(背景の青に筆描きの山や雲)にする事で、「あそこは遠いんだ」と思わせる。
 そのちょっとしたやり方で広い所を動き回っている感覚が味わえるわけですよ。よく考えたなと思います。
 後、「筆しらべ」のシステムってかなりどえらい事をしてるんじゃなかろうか? とかも思いましたが、プログラムの事とか良くわからんので割愛。
 まとめ。そうねえ。このゲーム楽しい、ってことしかないんじゃないの?

*1:メトロイド・プライム」のようにもともと“区画”なつくりだった事を逆手にとって、より使う能力や行動を限定的にするのもありますが