「この時代小説がすごい」が無い事について

以前にぶつぶつと考えていた「この時代小説がすごい」の不在に関して、やっとこさあることに気が付きました。
「〜がすごい」が必要なのはなぜかと考えたらば、それはどの本を読んでいいのか分からないからであるということです。 それでその事を時代小説に適用した場合、どの本を読めばいいか殆ど決まっているという事に気が付いたのです。
つまる所、司馬遼太郎を読んでおけばいい的史観が根底に存在するがゆえに、「〜がすごい」を必要としないのです。 むしろ司馬遼太郎以上なんてあっては困るという事なのかもしれません。 これはちょっと陰謀論くさい言い回しですが。
しかし、これはこれで由々しき事。 近年の作家が全くいなくてもかまわないという部分が存在する事になります。 これって結構時代小説近辺にとっては危険な事なんじゃないかなと思うのですが、はたして。
というか続きはよく分かっている方にお任せしたいです。 殆どずぶの素人の私にはちょっと手に負えないです。 考えられる人募集。