感想 島本和彦 『アオイホノオ』10巻

 大体の内容「焔、とうとう、とうとう!」。諸所の事で精神テンションが無駄に乱高下する事が特技である焔も、今回のファーストピクチャーズショーの失態で流石に大ダメージ! のた打ち回る事に。ぶっちゃけるとざまあ! というのが強く感じました。居丈高に乗ってた焔に、ついに鉄槌が! と思うとたまらないですよ。と同時に、そこまで追い込まないでも、とも思ったりもします。そういう青春のパトスが分かる年頃なので、上がって上がって出来上がった物がくそみそでもない所かきょうの料理のつま扱い、という事実に陥ったのは大変心に去来する物があります。辛いというのが酷く分かってうわああああ! ともなりますよね。こうやって客観的に言ってますが、最初読んだ時はこっちまでうわああああ! でしたよ。少しでも心得がある者なら当然ダメージの来る流れでありました。
 でもね、焔の作ったフィルム、酷いんですよ。ガチガチのシリアス物であるのはいいにしても、このシーンはあの作品のあれを思い起こして欲しい、ってお前何の為に作ってるんだよ! コピー&ペーストしてオマージュどころかまるパクリしたのを出して、その上で原作思い出して欲しい、ってなんだよそれ! 何度も言うけどお前は何の為に作ってるんだよ! 出したいものが、全部パクリしかないとか、どういう事だよ! なんだよこれ! どこだよここ! ←睦月的錯乱
 創造したい、というのは延長線上でしかないという事もあるのかもしれませんが、しかし若い身空でこの自分と言うものを出すのに大して全然、って本当に焔の行く末が心配です。でも、突き詰めるとその方向も武器になりうるという事になりそうでありますが、しかしそれでいいのか。今んとこの焔の様子だと、あるいはそういう事になるのかなあ。今回の巻で落ち込みまくってたのが、最後にトン子さんの言葉で大悟するからなあ。その方向の大悟でいいのかしらねえ。今回の落ち込みからの回復は、なんか不安になってきます。作の方向性としてはこの辺りに落ち着くのか、更にもう一段落ちるのか。どうなるのやらねえ。
 さておき。
 焔の言う所の売れ線が読める能力! というのはオタなら往々にして感じる物ですが、それで自分の作品も上手く描けるという訳でもない辺りは実際そうだよなあ、とか。そして焔の幻視した売れ線を言い当てて出版社を導いていく仕事ってほんとあったらなりたいですが、今までそういうのが大金を得ていない事実を見るにつけ、やはり幻視でしかないよなあ。とか思います。つか、業界に居れば当たりの匂いなんて分かってるけど、それでも当たらない、って事多いだろうし。でも、本当に完全に読みきれるなら仕事として有り得るのかなあ。とか夢幻の如く也。