アサイ『木根さんの1人でキネマ』1巻
(画像のリンクが物理書籍のページ、文章のリンクがkindle版のページ)
大体の内容「オタクって、面倒だよね……」。木根さんは隠れ映画オタク。会社ではいい外面を持って他人と渡り合う、という処世術に長けています。
しかし、その映画オタクとしての内面は大変面倒くさく、ある種退廃的な部分すら感じさせるものがあります。
このガチでお一人様映画するのが好きな木根さんが、映画友達を得る様を描いたのが、『木根さんの1人でキネマ』だと、その気になっていたお前の姿はお笑いだったぜ。ということで、そういう側面もあるけれど、基本的にはオタクの面倒くささというものの一つの現出として、この漫画はあるのです。
オタクというのはどうしてこうも面倒くさいのか、というのは研究課題になってもいいことです。そう言ってしまうくらいに、木根さんは面倒くさいです。
上記画像のように、木根さんはかなりこじらせております。人より映画が好き、というのがアイデン&ティティになっているからもあり、だから、映画館で見る必要なくね? という言葉でやたら揺さぶられたりしたりします。自分の根底に映画があり過ぎるんですね。だからそれを揺さぶられるのは困る。困るが、でも揺さぶる相手も欲しい。そういう面倒な立ち振る舞いなのです。
それについてはしょうがない部分があります。木根さんは今までも映画友達欲しいというのはあったのです。しかし、小中高大とその趣味、基本的にドンパチ好きかい? のせいで、オシャンティな女性にその趣味が合同することがなく、それが積み重なって外面を完全防備する道を選んでしまったのです。しかし、それにより余計に面倒くささが増した感もあり、何かを好きになるって大変だなー、ということを自分のことを棚上げしつつ感じるのでありました。
さておき、どうしてこう面倒なのか、というのはこの作品以外の例として、大変マイニストですが祥人『ふ〜ふ』の岡田さんというオタクの子の面倒くささというのが、一つ噛み合う部分があります。岡田さんの面倒くささは大変なものがあります。基本的に腐女子で気も多いけど、その琴線は意外な所に張り巡らされていて、気をつけないと鳴り子トラップ発動です。そして基本的にあまり赤の他人と繋がれない趣味だからこそ、繋がれたらがっちり繋がろうとする。そういう部分で普通の距離感ならしないことを、ついしてしまう。相手もこの距離感でこの行動合ってるの? という疑問を重ねながら、攻め過ぎたり守り過ぎたりする。それが傍目からは面倒くささとして屹立するのではないかと思うのです。もっと普遍的に繋がれるものなら、こういうことには。そう言う部分が、木根さんにもあるのは間違いないことです。距離感面倒くさい人ですし。
さておき。
映画についての漫画なので映画の話もありますが、ゾンビ映画の話は大変然りでした。本当に、ゾンビ映画は外れが多い。というかホラー全般は外れ率結構高い気がします。それを最大限押し上げているのがゾンビ映画ですが、それでもホラーの外れは結構なものです。その辺も今後フューチャーされたらいいな、と思います。この辺、一つの作品でもジャンルでも、ネタを出せる映画の底の深さというか業の深さがいい感じに内容の幅に寄与しているなあ、とか。とはいえ、かなりメジャーなタイトルは1巻目でやってしまった感もあり、今後その業の深さを見せつけられるかが焦点になるかと思います。その辺はアサイせんせの手腕に期待したいです。この巻見た限りでは出来るお人やで……。
とかなんとか。