全ての無意について

どうも、自分は半ば以上死んでいる気がする。 精神的に。 一度死を指向した影響だろう。 この世のもの全てに無意を感じる。
私はもともと死を指向するタイプであったのだが、それが色々な要因によって限界に達した。 今年の6月半ばの事だ。 そこに至る過程で気が付いたのは全てのものは価値を見出されるがゆえに価値があり、かえって価値を見出せなければ価値は無いということに気が付いた。 死の前では全てのもの皆平等である。 意味がないという点において。
この時(といっても具体的な瞬間は分からないが)から、私は世の中との繫がりが希薄になるのを感じた。 この世にあるものに繋がれなくなった。 唯一本とゲームにだけはかすかなつながりがあった。 よくよく考えると昔から死を指向する時に必ず邪魔になるのが本とゲームだったような気がする。
それはさておき、そういうふうにどん詰まりの真実に気づいてしまってからは、正気で起きていられることが少なくなった。 自然、睡眠が増えた。 そうすれば当然のように仕事なんて見つけられない。 言い忘れたがこの時完全なる無職だった。
で、ある日、同居人に「早く仕事を見つけろ」といわれた時に、「ああ、ここで死ぬんだ」と思った。 途端に周りのもの全てが無意味に帰した。 ゲームを全て売り払った。 本は時間が無かったのでそのままだった。 だがあの時に、私は精神的に全部を捨ててしまった。
結局行動の途中で醜くも逃げ出して家に帰って来たが、あれ以来全ての執着を一瞬で消す事が可能になった。 それゆえにいまだに自殺する可能性がある。 困った、とはあまり思わない。 なんというか必然的なことだと思うだけだ。
すべてのものに意味を見出せる人がいるのと同時に見出せないやつもいると言う話。