ネタバレ感想 秋田禎信 『血界戦線 グッド・アズ・グッド・マン』


(画像のリンクは物理書籍のページ)

大体の内容「堕落王フェムトの気の迷い」。折角仕掛けたゲームが、あっさりと普通の行動で無効化されて憤慨する堕落王フェムト。
その時、ふと彼は思いました。
「僕が普通になるにはどうしたらいい?」
そして始まる一大乱痴気騒ぎ、それが『血界戦線 グッド・アズ・グッド・マン』なのです。
続き記法にしたので ネタバレを全開にしていきますが、この小説凄いです。凄く凄いです。語彙力が後退するくらいに凄いです。何が凄いかって、そりゃあなた、あのブラックボックスキャラ、堕落王フェムトを主役に据えるというこれですよ。堕落王フェムトを、大胆に、そして繊細に書き出す。この凄さですよ。語彙力がスポイルされるレベルの凄さです。
まず何が大胆かというと、それもう堕落王フェムトを書き出すということそれ自体が大胆です。そもそもの堕落王フェムトというのが、原作においてそこまで出番が多いキャラじゃない点がまず挙げられます。出たのはレオとの対峙のあった1話目、ちょい役だけど効果的に出た<王様のレストランの王様>回、ネタ度の高いB2B1巻二話目、そして新ヴィランとの対峙があるB2B3巻2話目。数にすれば4回しか出ていないのです。それなのに大変印象的になっているのは、それだけのインパクトのあるキャラクターであることや、アニメでの登場回数の多さもありますが、それ以上に、こいつ何考えているのか分からんというブラックボックスキャラであることが核にあります。
ブラックボックスキャラというのは今考えた造語ですが、つまり何かあるのだろうけれどそこに何があるか分からない、覆い隠されているキャラクターであると言えます。堕落王フェムトは何をしたくてヘルサレムズ・ロットで暗躍しているのか、我々は知りえません。B2B3巻で世界の滅亡なんて考えすぎて飽きた、とまで言ってしまうかの怪人は、では何故破滅のゲームを繰り広げるのか。そこの所が全く分からない。それが堕落王フェムトです。それでいて<王様のレストランの王様>回で美味しいものの前では武力なんて無粋、といいつつ超暴力で相手を瞬殺していたりと、なにかつかめそうな部分も見えたりする。でも、基本闇の中。そんなキャラクターな訳です。ここにおいて、このキャラクターを書きましょうという精神性が大胆としか言いようがありません。
その上で、更に大胆なのはこの異形の怪人に、普通という最も最も最も最も恐ろしいマギ―ッ! という感じなくらいに対岸の事象に思いを馳せ、そして普通になろうと実行して、大量の劣化堕落王フェムト、堕落王フェムトの意思を乗り移らされたその数七百六十八人の、を蔓延させることです。能力は誰も堕落王フェムトではないが、精神だけは堕落王フェムト。そういうのを生み出してしまう時点で彼に普通を指向する資格はないのですが、そこが分かっていればそもそも普通を指向しないという訳で、なのでとてもややこしい事態になってしまいます。ここの部分の展開がそれほど危機としては大きくない、と判断される辺りも原作からすれば理解できるという巧みさも凄いですが、このままだと堕落王フェムトの能力に逆アクセスして施行出来る! とライブラが気付いてそれの処理に移ってからの、七百六十八人のフェムトによる一大乱痴気騒ぎに繋がっていく様はもう超絶凄いです。堕落王フェムトによる完全なマッチポンプ! という文字にして頭が痛くなる展開が繰り広げるこのバカさとヤバさよ!
これだけ大胆でありながら、あるいはだからこそ、繊細でもあるのです。何が繊細かというと、堕落王フェムトのブラックボックスキャラな部分を引っぺがさない、己の勝手な思惑を込めない。そういう手管で来ている点がそれです。上記のような乱痴気騒ぎ、あるいはレオ達とちょっとしたわりに核心に踏み込みそうな会話してたりするんですが、でもそれでもブラックボックスな部分は触れない。軽く触っているけれど、我々が知っている程度の表面をなぜるだけ。深くは入らない。このバランス感覚! これを凄いと言わずなんと言えばいいのか。
それでいて、でもこれくらいは私が思っているので書いていいですよね? という部分もきっちりあるのが更に凄い。あくまで参考意見でしかないですよ? という呈で、ゲームに負けて続けていても盤面ひっくり返さずゲームを繰り返すその高潔さを指摘してみせる。ブラックボックスとしての堕落王フェムトに対して、あくまでその内面を書くのではなく、慮るだけ、というこの巧みさ。凄い。語彙が後退するくらい凄い。
さておき。
ということで堕落王フェムトを書く、というだけで約束された勝利の剣な訳ですが、ただ漫然と書いている訳でもないのもまた凄い。特に最初のセクションでの堕落王フェムトがどういうキャラクターなのをか、というのをわずか6ページで魅せきるテクニックは、小説家秋田禎信の実力が冴えわたっているとしか言いようがありません。この部分だけでもワナビな私には目から鱗がボンガボンガ落ちるものがありました。ぶっちゃけ勝手にパーフェクトって評したいです。
それ以外にも、今回の対処役であるレオ、ザップ、ツェッドの仲良し三人組の、この三人は秋田先生が作ったキャラだったっけ? レベルの違和感のなさも特筆点です。ザップとレオは『血界戦線 オンリー・ア・ペーパー・ムーン』の段階で理解=愛ッ! な状態でしたが、ここに更にツェッドが混ざっても全く原作通りだったのが異常に凄いです。普段は剣呑なザップとツェッド。でも戦闘では息がしっかり合う。とかそういう部分をあの手この手で見せつけられる訳ですよ。これはまたもパーフェクトと評したいです。とにかく、完璧のノベライズなんですよ。
さておき。
この話の根幹についても語っておきたいのですが、それはつまり<普通>ってなんだろう、となります。堕落王フェムトの<普通>、はいつもの破滅のゲームを嬉々としてやるあれでしょー! ってなるんですが、でも堕落王フェムトの求めた<普通>、使い切らないと超危険! という1セントコインを大道芸のお代にするような<普通>はどういうものなんだろうと。それを考えた堕落王フェムトがやったのが先に書いた七百六十八人の劣化堕落王フェムトなんですが、それについてどうして劣化を作ったか、という話は、実は作中に出ていません。堕落王フェムトのすることなので我々が推し量るのは難しい、というのを前提しつつ推論しますと、それだけの人間とつながることで、<普通>を知ろうとしていたのではないか、と思うわけですよ。<普通>を得る為に、たくさんの<普通>の人の知識、思考、指向を得ようていたのでは、と。その証拠としては、ザップが目を付けていた女性の話をレクチャーする場面があげられるかと。たくさんの<普通>の人とつながっているから、その情報を得られたのでは、と思うんですよ。すぐにその名前すら忘れてた辺りは、データが多すぎて混乱するのかな、と。そうやって適宜データを集めるならわかりますが、常に直結する辺りが堕落王フェムトのおかしいとしか言えない点であるなあ、とか思ったりもします。それ自体が既に<普通>じゃないんですが、そこんとこが分かってたら堕落王フェムトじゃないな、とも思えます。
そして、<普通>の思考が最終的に行きついたのが、七百六十八人+一人の堕落王フェムトがお送りする一大マッチポンプ。騒動を起こすのも堕落王フェムトなら、騒動を解決するのも堕落王フェムト。この時のヘルサレムズ・ロットの大混乱は想像して余りあるにもほどがありますが、レオの推論の、解決するのは勿論、騒ぎを起こすのも善意だったのでは、というのは中々に面白いと思いました。序盤でも、劣化堕落王フェムトになった人が酷い目にあったりしていたから、そういうのを救いたいという、それこそ<普通>の思考がそこに働いていたのかなあ、とか考えたりもします。それが堕落王フェムトの力で助けると、一大乱痴気騒ぎになってしまう、ということなのかも。そう考えると、本当に堕落王フェムトがある意味<普通>であることは危険なのかもな、という結論に達します。ある意味では、ああいう存在だからこその、ああいう<普通>でいいんだ、と。そういう意味では、<普通>って簡単なようで中々難物なのかもな、というのが最終的な感想でしょうか、とかなんとか書いて、この項を閉じたいと思います。