『ゲームウォーズ』と『ソードアート・オンライン』と『ログ・ホライズン』。そして時々『エンド・リ・エンド』

初めに

 この文章は『ゲームウォーズ』(以下GW)を読んだ感想を書こうかと思ったのですが、それを単に書いても面白くないと感じたので、同じオンラインゲーネタの日本での二極、『ソードアート・オンライン』(以下SAO)と『ログ・ホライズン』(以下LOG)とどう違うか、そして時々、『エンド・リ・エンド』(以下RER)とどう違うか、と言う視点で見てみようとして始められた読書の一応の結論として出来た文章です。
 先に断っておくと、SAOはまとまっている1巻のみ、LOGもまとまっている4巻まで、と言う事で取りこぼしがたくさんあると思われますが、GW自体ももしかしたら続編が出てくる可能性があるので、ある意味可能性の欠片がどのような形を為すかという見方でいいのではないかと、勝手に思い込む事にします。もうちょっと読んでからでもいいですが、それだと永遠に終わらないので見切り発車します。
 ネタバレもありますが、それでは行ってみましょう。

その1:ゲームの種類

 どれもゲームが主題の作品ですが、そのゲームの基礎部分、というのはそれぞれ違いがあります。それをまず見ていきましょう。

GW

 MMOのRPG。しかしゲーム世界が惑星単位な為に非常に広大で、ほぼオープンワールドのゲームと言っていいでしょう。あまりにオープン過ぎて第二の世界として完全に立ち上がっているくらいです。

SAO

 MMOのRPG。しかしゲーム世界は広さがあるにしろ大きなダンジョンというある程度区切りがあります。GW程の野放図さではなく、きっちりと閉じていて、故に牢獄として機能しています。

LOG

 MMOのRPGオープンワールド的に展開している、のでしたが、完全に異世界と接続してしまっています。その中で、ゲームの方法論が世界に施行されているという、かなり歪な世界となっています。ある意味では放浪先というべきでしょうか。

ERE

 ギャルゲー。しかしそれは悪魔のギャルゲーで過酷なルールがある。しかし、ギャルゲーの中なので、ぱっと見ラブコメってる感はあります。

その2:ゲームの目的と報酬

 どの作品にもゲームの目的とそれに対する報酬があります。それに向かって、どの物語も駆動していくのです。

GW

 ゲームの制作者、ジェームス・ハリデーの遺産を巡り、ゲーム内のキーを集めて、<エッグ>に辿り着くことが目的です。遺産は仮想世界OASISに対する権限と莫大な資金なので、第二の世界のOASISのみならず、現実世界にも多大な影響が与えられるものです。

SAO

 巨大ダンジョン<アインクラッド>の100層に居るボスを倒し、ダンジョンをクリアすることが目的です。報酬は、生きてこのゲーム世界から抜け出して、現実世界に戻る事です。

LOG

 ゲーム『エルダー・テイル』の世界から帰還するのが目的で報酬です。

ERE

 数多の女性の中からヒロインを見つけ出し、悪魔のギャルゲーをクリアするのが目的です。報酬は、仄めかされた物から察すると、悪魔のギャルゲーの世界に居られる事のようです。

その3:死について

 どの作品にも死が付いて回ります。そこがどういう処理なのかを見てみましょう。

GW

 ゲーム上で死んでもいくらでも生き返れますが、現実世界で死ねば当然死にます。あくまで第二世界のOASISと第一世界の現実とは分けて考えるものなのです。

SAO

 ゲーム内で死ぬと現実でも脳がやられて死ぬ、と1巻目ではされています。1巻最後に病院に居たことからして、実際に死んでいたと見て間違いないでしょう。ゲームと現実が陸続なのです。

LOG

 死んでもホームポイントで復活出来ます。が、記憶の一部が欠落するという問題点があるのが発覚します。死んでも問題は少ないけど、でもリスクはきっちりある、と言う事です。

RER

 死のうとして死ねるか、主人公はやっていないのでどうか分かりません。悪魔の、それも<ルー二ー>のギャルゲーなので、自殺しても元に戻されるのがオチのようではあります。

その4:食事について

 死の次は生の象徴、食事についてです。これも色々違って面白い所です。

GW

 現実の方で食べます。第二世界OASISで食事の要素は無いようです。

SAO

 食事用のアイテムがしっかりとあり、それの組み合わせ次第で現実の食事の味に近づける事すら可能だったりします。というか2年でそれをものにしたアスナさんマジ正妻祭り。

GW

 <大災害>当初は食事アイテムは味の無い濡れ煎餅めいていましたが、料理人スキルを用いて作ればきちんと食事が出来る、となって、それが呼び水となって色々な技術革新、ゲーム内に近い世界なのにそれを逸脱する物が生まれます。

ERE

 ギャルゲーの中に完全にいるので、そこで食事をします。普通に食べれてるようです。

その5:ゲームとしての濃度

 それぞれにゲームとしての濃度というものがあります。ゲーム内容の濃度と言えばいいでしょうか。それを見ていきましょう。

GW

 ゲームと言うより第二の世界という感じ。レベルや貴重品やお金の概念はちゃんとありますが、現実と溶け合っている部分も多く、単純にゲームというには入り組み過ぎです。目的としての宝探しには80'sなゲームが絡んできて、そこは別種のゲーム性があったりも。

SAO

 ゲームとしては濃いめ。剣劇のみのRPGというのが特殊でしょうか。しかし、ゲーム内の動きが確定されており、スキルを発動するとその決まった動きしか出来ない、というのがあったり。それを超えるのが見たかった、というのは意地が悪いよなあ

LOG

 ゲームとしては、歯ごたえのあるゲームがしたいなら、という惹句を冠されるだけあって濃い味。基本職のきっちりとした違いに、サポート職の多岐っぷり、魔法やスキルの細かい設定、それを助長するアイテムの存在など、きっちりと。その濃さが異世界と相まって更に濃い物になっているのが見どころでしょうか。

RER

 現実とギャルゲーが完全に一体化していて、普通のラブコメ(?)のような世界観を構築しています。それゆえの地獄めいた状況にもなるのですが。てか、2巻の展開酷くね?

その6:デバイス

 ゲームには当然デバイスが必要です。それについての差を見てみましょう。

GW

 HMDと手にはめて触感を得る<ハプティック>を使う。その性能には値段によって差がある。

SAO

 ナーヴギアというHMDを使う。使う時に体の神経系と脳との連携を断つ仕組みがある。

LOG

 基本的にパソコン。だったがいつの間にか現実が異世界に。その名残があちこちにあり、歪な世界にしている。

ERE

 どうなっているか不明。完全にゲーム世界に入り込んでいる可能性が高い。

それからどした

 大体違いが書けたかと思います。要約すると、GWとSAOとLOGとでは思想がだいぶ違うという事でしょうか。GWの発想とSAOの発想とLOGの発想が全然違う所に根ざしています。というか、GWの発想は本当にオープンワールドが基本になっており、他のオープンワールド思想よりも一足飛びで広い域に達しています。誰が見るんだその空間、という惑星単位が何個も何個もあるみたいなのが当然なのがGWなんですよ。まだ見える所まで、という作りのSAOとLOGは日本的な発想だな、とすら。そのある種散漫になりがちな部分を、ハリデーの謎とsince80'sでくくって、地に足をつける形にしている、というのがGWと言えるでしょう。そして、一番対比出来るのは、SAOでもLOGでもなく、EREである、とも言えるでしょう。ギャルゲーという日本に深く根ざしたシステムと、オープンワールドという世界に深く根ざしたシステムが、当然対比になるのです。その違いと、その近さが、案外に面白く感じたりもします。GWがなんだ、こっちにはEREがある。そう言えたらいいのですが。
 とかなんとか。