- 某ガガガトーク(某の意味が無いじゃねえか)がなんだかぬるく感じていらいらする。
- 意見の相互調整がどうのと言った後に、自分達で「それに匹敵する作品が現れたかと問われれば、「ない!」というのが誰もの回答でしょう。」とか言って調節してるのはフィッシング、いわゆる釣りですか。
- というか、そもそもそういうのはライトノベルだけの話じゃないちゃうやん。一般文芸でも教養書でも「一分であらすじが分かる」シリーズでおんなじ事が起きてるやないですか、とか。
- 頭ん中がザラザラするーーーっ!! あー! あー!
- 古川日出男の「ボディ・アンド・ソウル」を読んだせいだな。あれに感化された。
- あれは古川日出男のテンションが凄すぎてわけのわららん物になってしまってたから。終盤の展開なんてわけがわららん美しさだけれど著しく意味不明というか話を分からせる気が皆無だし。
- 小説やなにかにいわゆる「中身」、「文学性」を求めるのは、なにかぱっと見不思議な事が起こった時に「超能力」、「UFO」、「幽霊」等の要素に理由を求めるのに似ていると思う。
- 小説なんて言ってしまえば文章の束であり、文章なんていってしまえば文字の羅列でしかない。
- そこに何を見るか、というのは究極すると完全に個人個人の拾得物の域を出ないんじゃないか。
- それをいろんな人があーだーこーだして共通見解を出していく行為は無駄ではないと思いたいが、それをせずに一足飛びで「中身」をあるとするのは早計にも程がある。
- 「あらすじ」系の本の普及は、小説の存在意義、教養書の存在意義の危機じゃないか?
- 自分の感想じゃなく、誰かの感想をまるっと丸呑みするのは文化的な態度じゃないだろ。
- でもある程度はあると楽なんだよなぁ。普及する理由は凄く分かる。
- だから、こういうのを無視してライトノベルの話だけにするなって言いたいわけです。
- うん。遠まわし。
- 映画で月、いわゆるライトがあんまり頭がよさそうに見えないという話を聞いて、「そりゃ月の頭の良さが一番出るのはいい子演技だからだろう」とか思ってみる。
- いい子演技とその奥に秘めたブラックが奴の持ち味なんだから、それをきちんと演じきれないと頭よさそうに見えないだろうなー、とか。
- それ以上に月の頭のよさを支えていたのはあの膨大なネームだからなぁ。映像にネームを書き込むわけにはいかんからそれが無いのは仕方がないけれど。