つれづれる

 信における言というのは、まずもってモツをみせて、「つまるところ このようなもの」と言う人の言葉であると思う。出す方もそうあれと思って出すんだろうし。
 だからどうした。
 さておき。
 最近あちこちで人類が衰退した人類が衰退したと述べられているのを見て、人類もとうとうか、ひゃっはあ! と思ったら小説の題名でした。嘘おおげさまぎらわしい。
 今日も今日とてコンボである。猿所謂モンキーのごとく、繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し……。
 コンボの精度を上げる為である。コンボの精度が上がれば、ふとした瞬間にもコンボのタイミングを見出せるようになる。例えば、攻撃が空中ヒットした時のダウン復帰までの時間に何が出来るか、とかが肌でわかるようになる。それに、きっちりつなげないとストレスがたまる。ストレスは良くない。もう少しでつながるものも、それによって衝動的な破棄を余技なくされることもあるのだ。さらに、理論上は可能そうであっても、実際にできるかどうか、人間業であるかどうかは別問題でもある。だから、手に基礎をなじませる。そうする事によってのみ、コンボ作りは発展するのである。
 だからどうした。
 ひとしきりした後は、当然コンボ動画の探索である。ネット上にはどんどんとそれらがアップされる。それをみて、自分の知らないつなぎ方が内蔵されているのか調べ、更なる飛躍の原動力にするのだ。それにしてもいい時代になったものよ。実地で見ないとどうにもならなかった時代が遠い日の花火である。これがウェブ2.0か。見て、いくらか発展を思いつく。また作るか。