さっそく誓いが……。

 バイトで色々と目を通しているから、更に目を通すのがつらい、と言う事は無く、単にコンボ作るのにはまっていただけです。やりこまないと動かせないからコンボも出来ない、という言い訳をしながら。止めればいいのかもしれないが、これがもう、楽しくて楽しくて仕方ないのである。自分にとってはこうういうガチャガチャとした扱いをするゲームが楽しいんだなぁ、と確認。
 さておき。
 姐(仮)がDSの応援団2を買っていた。宣伝見て発作的に買ったらしい。危うい。なにせ自分も買おうか、でもないなぁという状態だったからだ。もしあったら買ってた事と、バイトで生活時間が合わなくなっていた事を合わせ見れば、同じゲームが家に二つという悲喜劇が生まれる所であった。超危険。
 今日の買い物。

  • 「らぶ・ちょっぷ」2巻
    • やっぱり終わってるのか…。
  • 「環水惑星年代記
  • 「ドロへドロ」2巻(古本)
    • 250円って。凄い得した気がする。しかしいつになったら全部そろうのか……。

それからどした。

 なんとなくもやもやとしたものが形になるが、取り立てて言うほどでもない気がするが、記憶なんて薄れるから、記帳しておこう。
 「消費を喚起する」という言葉があるが、と言う事はつまり呼び起こされるもの、となる。
 ならそれは普段は眠っている、眠らせていると表現していいんだろう。んで、それが色々な案件によって呼び起こされる、という事になる。
 で、思うのが。最近は寝ている方も起き方と言うか起こされ方に敏感になっているのかなぁ、とか。特に、より強い起こし方を求めているような。例を挙げるならオリコン1位運動とか、口コミとか、ある程度人員が動員されていたり、これから盛り起こす、祭りにするというバックボーンがあるモノに対して動きやすい傾向がある。ムーブメントが起きる事前提の乗り方、今のうちに乗っておこうという動き、といったらいいのかな? 事後にカタルシスのある消費、といってもいい。
 んで、それを見ていて気持ちが悪い、と言う人がいるのは、上記の、事後にカタルシスを得ようとする動きが露骨と感じてしまうからなんだろう、けれども、ひるがえって自分の消費行動を見て、じゃあ違う行動をしているのかと言われると、実は同じ行動をしているんじゃないかとも。そっくり同じではなくて、本質的に同じ動きを、つまり何かを買う事にカタルシスを得る、というのはものを買う行為には全てついて回る事なんじゃないの? 価値があると思うから、おぜぜを払うんでは?
 というのが頭の中をぐるぐるしていた、オリコン1位運動を忌避するという事への違和感だった。書いてわかった。そうなのかー。
 とかなんとか。