キャラクターを動かすことを大体格ゲーの話。

GUILTY GEAR -STRIVE- スターターエディション 2022 - PS4

この項について

 元々は大好き格ゲー、GGSTのレビューの文章として書いていたものの、話としてレビューと噛み合わないのでオミットしたものを、これはこれで考え所がある、ということで発展させた(再利用させた)思考の過程です。
 キャラクターを動かすことの楽しさについて、掘っていけたらいいな、ですがさてどうなる。
 さておき、それではいってみましょう。

キャラクターを動かすこと

 キャラクターを動かすのは楽しい。これはゲームしていると大体感じる事象です。あるいはキャラクターを動かすのが楽しく無いゲームはゲームとしてあかんのでは? まであります。
 それくらい、ゲームとキャラクターは深い関係性がある、と言えるでしょう。とみに、動かすゲームでは必須の関係性です。*1
 ではなぜ楽しいのか。ここには二つの要素が絡みます。
 一つは操作性。動かしたいように動かせること。
 もう一つはキャラクター性。このキャラならこう動くと感じられること。
 これらがキャラクターを動かす楽しさに直結していると言えます。
 この二つはキャラクターを動かす要素のあるゲームには常に付きまとう部分です。これは格ゲーではとみに顕著なので、以下では格ゲーのキャラクター操作の楽しさを中心に、そこんとこを語っていきたいと思います。

含有する二つ

操作性

 まず操作性について。これについては、基本的にすこぶる悪い、という格ゲーにはお目にかかった事はありません。格ゲーのプレイした種類はそこそこある私からしてもそうなので、最低ラインはどんな格ゲーでもおおよそ越えてはいます。悪いのをいい記憶にすり替えている可能性はありますが。
 操作性、というものは細かくすると、大まかに3要素に分別できます。
 まず操作に対する動作の反応。特に動かしている感覚に直結する所です。主に基礎の動作感覚がここになるでしょう。
 これが悪い例は全く記憶にないですが、悪いとその格ゲーの評価が急落する部分ですから、ここがちゃんとしているのはデフォルトと言えるでしょう。だからこそ忘れている可能性はありますが。
 逆にいい例は沢山あり過ぎます。特にKOFシリーズとGGシリーズは、動きやすいゲームとしての操作性をきっちり注力しているシリーズでしょう。
 次に操作に対する納得性。やってねー! でやっているのは格ゲーマーの基本動作ですが、やった行動、操作がきっちりあっているというのが、操作に対する納得性です。これも大体の格ゲーは越えている部分です。
 で、これが悪い例はKOF97でしょうか。
 何故KOF97かというと、かのゲームはコマンド入力の受付が無闇にシビアで、自分ではちゃんとコマンド入力したつもりでもそれがなっていない、という事が結構ありました。超技コマンドが、必殺技と重複する部分もあるので、出したつもりじゃない技が漏れることもしばしばでした。慣れれば、なんですがその慣れるまでが結構大変だった、という覚えがあります。やってないがでやすい、という納得性の低い代表例です。
 最後に操作の爽快感。動かしていて気持ちがいい、というやつですね。これは上二つの相互関係からくるものとも言えます、『ストリートファイター』とか『餓狼伝説』とかの頃の格ゲーはもっさりしている感じといえます。
 逆に言うと、これは格ゲーが洗練されていく中で際立ってきた、と言う部分です。ワタクシ大好き『GUILTY GEAR -STRIVE』、GGSTとかは、操作感の爽快さと視覚的爽快さが混ざってんぎも゛ぢい゛い゛っ!! で堪らない出来栄えとなっています。
 この3要素が格ゲーの操作性を形成しています。ここがしっかりしていると、それだけでも中々楽しい。でも、ちょっと足りない。その重大なちょっとを埋めるのが、キャラクター性です。

キャラクター性

 キャラクター性は、そのキャラクターゆえにこう動く、という部分です。これについては、格ゲーで言うと格ゲージャンル勃興の祖であるスト2から既にきっちり仕込まれている部分ですが、他のゲーム種でも基本的に揃えられている部分でもあります。
 出自から格ゲー近縁種である無双系*2もですし、少し違うようで意外とFPS、TPSもキャラクターを動かすと言う点では近い位置にあります。アクションのあるRPGもそれらも近親者と言えるかもしれません。
 それらの中にあって、格ゲーをキャラクターを動きかすゲームとして取り上げるのはやはり自在に扱う、と言う感覚が強く得られるからです。
 アクション数で言うなら、あるいは行動数でいうなら、最近のアクションの方が色々自由に動けます。格ゲーを横ゲー、と言ってしまうくらいに3Dの世界で縦横奥行きを跳ねまわれるし走り回れます。
 なのですが、そのキャラらしい動き、となると意外と格ゲーくらいの動きの数で十分だったりするのではないか、と感じています。
 無闇に走り回れなくても、立体的に動きまくらなくても、キャラクターらしい動きというのは表現できる。スト2程度の縛りがある中でそのキャラクターの動き、というのが密に構築されているからこそ、格ゲーというのはキャラクターを動かしているという意識を強く持てる。それがキャラクター性なのだと、勝手に言ってみます。
 ここであげたスト2のキャラクター性と動きの兼ね合いというのは、それについて考察するとそれだけで一つ話が出来上がる上に全3回とかになりかねないので、今回は当然割愛しますが、とりあえずこのキャラならこう動く、をあそこまで野放図に作れたからこそ、以後の格ゲーも動きの幅を獲得出来たと書いておいていいでしょう。
 このキャラクター性というのは、先述通りスト2で既に一つの完成形ですが、それ以後もどんどん格ゲーが出てきて、更に洗練されていきました。その結実の一つが、現在はGGSTになるといって過言ではないでしょう。次では操作性とキャラクター性の噛み合いとしてのGGSTについて語っていきます。

GGSTから見る操作とキャラクター性の噛み合い方

 まずGGSTの操作性は、反応、納得性、爽快感の三つとも高いレベルでまとまっています。操作性については今の格ゲーとして一線級なので当然鋭く快適。納得性も自分の動かした通り、イメージ通りに動く。動かしたいようにきっちり動く。爽快感もダッシュなどか素早く出来てるのや、視覚面での壁割りやデカウンターなども絡まってきっちり完備。操作していてつまらない感じが全くないです。
 この中で特徴があるなら、今までのGGシリーズで野放図だった空中ダッシュに対して、ワンクッションが入る調整が入っているのに、爽快感は減じていない点でしょう。
 通常なら空中ダッシュに挟まるちょっとした間というのは爽快感の減点になる要素ですが、しかしこれは調整の妙できっちりこのゲームの仕様を納得性を持たせてくる仕草で、大変好感が持てます、
 この高いレベルの操作性に、キャラクター性、キャラクターの動きが組み合わさっている。その中には、ダッシュや二段ジャンプという他のキャラには標準装備されている行動がとれない名残雪みたいなキャラもいます。しかし、そこで不自由に感じることがないのが、キャラクター性と、それを補完する動きの説得力といえるところです。
 名残雪は持ちキャラなので、もうちょいと深堀しましょう。
 名残雪は移動力に難のある重量級のキャラクターです。先述のように、ダッシュと二段ジャンプ、および空中ダッシュは持ち合わせていません。なので、GGSTの持つ自由な移動というのは制限されています。
 その分を補う移動技をダッシュ代わりにする訳ですが、これは所謂キャンセルで出せる、それも通常技だけではなく必殺技からも、というので、他のキャラにはない機動力を得ています。これが、名残雪の独特の動きを実現していて、やっていて楽しい。
 ここが名残雪を使っているという、キャラクター性を実感できる動きです。通常あるものが無い、という状態からでもキャラクターを表現出来る。そういう一例として挙げられます。
 また必殺技を必殺技でキャンセル出来るのと、それを使い過ぎるとデメリットがあるがゆえに、他のキャラと違った立ち回りをさせられます。通常の必殺技の使い方とは違う動きを強要させられる訳です。しかしそれ故にこういう立ち回りだ、という部分がある程度線引きされていて、キャラクター性が迷わないようにしているし、操作性の面白さにもなるのです。

あるいは、キャラクターを動かす格ゲーの面白さについて

 さておき、突然ですがワタクシ、格ゲーの楽しさというのを対戦の楽しさだけに紐付けするのはよくないのでは、というのを感じたりしています。
 対戦は確かに超楽しい。勝負の楽しさは格別。なんですが、格ゲーはまずはキャラクターを動かす楽しみから入るべきなんです! というのがこの項の主にしたかった主張なのですが、本当に、キャラを動かして楽しい、から格ゲーは入るべきなんです。なんですよ!
 まず動かし、動かせて楽しいのがゲームですし、格ゲーです。まず、自分が動かしたいキャラを決め、それをどう動かすのか調べたり自身の感覚でやったりして、それでCPU戦などをしていく。まず、対戦の前にキャラクターを動かす楽しみにきっちり開眼すべきなのです。
 そこで楽しいなら対戦する必要がない、という人もいてもいいのではないか、とすら思います。それくらい、自在にキャラを扱えている感覚は楽しい。ことで、対戦でそれが通じなくて、それを練磨していくのも楽しいですが、全ての人に施行出来るかと言うと、実際の所はそうではないだろうとも思う訳です。
 なので、キャラクターをCPU相手に楽しく扱える、というのだけでも、実際に格ゲーの面白さを十二分に感じているのだと言いたい。だって自分の好きなキャラを自分が思い描くように動かせるんですよ。その為に修練することの楽しさったらない、と思うのです。そこから更に、対戦で出来るようにしたい、はある。でも自分が楽しいならCPU戦だけする、でも問題ないし、それだけと卑下する必要もない。いや、もっとCPU戦を楽しむべきなのです! とまで言えます。
 それくらい、自分の持ちキャラを持って、それを自在に操るのは楽しい。キャラクターを動かすという事は、そういう事なんだと思う訳です。
 その上で、CPU戦だけでは物足りない! 対戦してみたい! という発露が出てからやってみるといいのです。その中で、自分の動きが通用しない、となれば上手いプレイヤーの動きやコンボを取り入れてるのも楽しいですし、対戦の動画、リプレイを見るのも楽しくなります。
 あるいはサブキャラを使ってみるのも楽しい。基本的に対戦するならまずはひとつキャラにこだわる方が上達は早いですが、CPU戦で楽しむ、あるいは動かしてるだけで楽しみたいなら、色々手を付けるのもいいです。対戦するなら、持ちキャラとサブキャラのその違いを知見として、持ちキャラにフィードバックするのも楽しいです。
 そういう楽しいを伝える必要が、格ゲーマーにはあるんですよ! などとないことをあると主張する訳です。
 まあ、結局格ゲーするなら気負いせず、まずキャラクターを動かす楽しみに触れてほしいし、その点だけなら格ゲーは敷居そんな高くないですよ、と言いたいだけの世界さ。

もう一回、キャラクターを動かすこと

 結局、格ゲーもですが操作性とキャラクター性の二輪がキャラクターを動かすことを支えているし、それでキャラクターの面白さも出てくる、と言う話がしたかったのだろうと思いますが、とっちらかってしまいました。
 しかし、格ゲーではとみに対戦に意識が集中されがちなので、そこ以外の要素についても見た方がいいよ? と言う話をしたかったのです。それがキャラクターを動かすことの二輪を見る話になったのが良く分からんのですが。
 それはさておき、世の中もっと軽々に格ゲーのキャラクターを動かす楽しみを知っていただきたい、という思いは強くなりました。なんか格ゲーのキャラクターを動かすの具体例をもっと書きたいかもしれません。まあ、なんかやったらそん時はそん時、ということで、今回はこの辺りで〆。したらな!

*1:意外と、動かす要素の少ないADVとかでもこの関係性がある気もするのですが、これについては問題がややこしくなるので割愛します。

*2:無双系の『真・三国無双』の前作が格ゲーの『三国無双』だったので。