キャラ愛ってなんだ。躊躇わないことさ。

GUILTY GEAR -STRIVE- スターターエディション 2022 - PS4

なに書くん?

 ネットの話題に乗り遅れつつ、思った気持ちに蓋をするのもすくたれものよね。ということで、格ゲーとキャラ愛の奇妙な関係性について適当かましていきます。
 結局すると、遊びでやってるのか遊びでやってんじゃないんだよー! のかの差でしかないわけですが、それでもなんやかや書いていきたいと思います。
 それではいってみましょう。

そもそもキャラ愛ってなんだろう

 キャラ愛とは様々な用法で使われる言葉でゲーム種によって若干のニュアンスの違いがありますが、格ゲーにおいては使用キャラへの愛、愛着とするのが一般的に通りやすいでしょう。使用キャラじゃないのに好き、と言う場合も極わずかですがーー例えば筆者はエル・フォルテが、他人の試合を見ているなら好き、というのとか。ーーありますが、これは某遊戯王の蟹のセリフ「だが俺はレアだぜ?」レベルのレアケースなので、ここでは使用キャラ愛に話を絞っていきたいと思います。
 さておき、使用キャラへの愛、愛着を格ゲーにおけるキャラ愛のベースとしますが、これは一体どこから湧いてくるのか。何をもってキャラ愛と感じるのか。取り敢えず大きく出ながら次に行きましょう。

あなたのキャラ愛はどこから?

 キャラ愛を感じるのはどこなのか、というのはまたしてもゲームによって違ってきます。
 格ゲーではこいつの動きが面白いから、とか見た目がいいから、とか、導入はいろいろあります。
 ただ、強いから、と言うのから生まれるキャラ愛は、あんまりキャラ愛として認められない節があります。
 むしろ、弱いキャラをあえて使う、と言う時にキャラ愛はあると認められることが多いでしょう。
 格ゲーにおいて、本当そいつが好きで弱くても使う、と言うレベルのことをのみをキャラ愛とする、まで行くと行き過ぎですが、しかしそう言う風潮があるのではないかとは思うわけです。
 でも、強いからで付き合いが始まって、そこに愛、愛着が生まれないかというと、無いわけがないのです。むしろ全然ある。
 強いキャラにキャラ愛は、そう考えると当然、あり得るわけです。全然あり。べりーよいよー。
 んですがここで問題。そのキャラが弱くなったらどうする? そのキャラ愛はどうなる?

そこに愛はあるんか?

 この辺がキャラ愛の話で拗れる要因の典型的な物の一つと言えます。強いから使っていたのが、弱くなったら、キャラを強いのに変えるのは女々か? と言う問題です。
 これに関しては個人的には女々と言いたいですが、勝てなくて萎えるくらいなら変えるのも手ではある、とも言うことができます。ゲームが面白くなくなるのは本末転倒ですが、でもキャラを使えなくなるのもまた本末転倒なのがここでややこしくなってきます。
 ゲームが先かキャラが先か。色々な意味でしたいゲームだから強いキャラを使っている、というのも、このキャラがしたいからこのゲームしている、というのも実際等価であり、どっちが正解でもない。あるいはどっちも少しずつ絡み合っている場合も大体です。
 キャラ愛に殉じる為にゲームするのか、ゲーム愛に殉じる為にキャラ選ぶのか。そんなふわふわ言説すら可能です。
 こうなると、結局何の為にゲームするのか、という地点に到達してしまうわけです。キャラ愛の為にゲームするのか、ゲーム愛する為にキャラを使うのか。グラデーションがあるとこなんで人によるのですが、そう言う意味では、ゲームは何故するのか、というへんに哲学めいた命題に行ってしまいます。
 ゲームで食っている、あるいは競技的に格ゲーしているなら、キャラ愛は無用とも言えるかもしれません。今勝てるキャラを正確に狙い、そして扱えるのは実際匠の技。
 逆にただの遊びなら、キャラにこだわるのは全然ありです。好きなキャラ使って勝ちたいにパラメーター振るのも好き好き。自由闊達に色んなキャラに浮気してもいい。
 ですが、この辺は先述通りグラデーションがあります。遊びだけど勝ちたい、もあるし、競技シーンだけど好きなキャラを貫きたいってのもある。後者はほぼほぼ某隆子様なのでぐるぐる目になってないとそうないですが、評価低いキャラで競技シーンで目立つ人もいます。無理がない、とは言わないまでも、可能性があるにはあるとは言えるかと思います。

私の場合は?

 筆者は結構キャラ愛方向のプレイヤーだと思っています。強いから使う、ではなく面白そうだから使う、というパターンが大体です。
 至近の格ゲーのGGSTの場合では、メインとして名残雪とシンを指向しています。このうち、名残雪は強キャラ、シンは弱キャラに分類されているらしいと聞いています。(伝聞情報)
 名残雪については、初期勢なので当然面白そうから入っています。ピーキーですし。そのうちに、強キャラと目されるようになりましたが、特にそれで強キャラ忌避が出ることもなく、延々使っています。
 シンについてはこれも面白いからという理由です。名残雪とは違うピーキーさがあり、また必殺技ぶん回せるの楽しいので使っています。特に弱いからキャラ変えたい、とも思っていません。
 そもそもの話、この二キャラは完全に腰掛のつもりでした。GGSTにジョニーが出たら、嬉々として乗り換える気満々で扱っていたのです。だから、面白いに照準を合わせていた訳ですが、この面白いから使い始めてしばらくすると、やっぱり情が湧いてきます。今ではもう名残雪とシンとジョニーを三キャラメインキャラと言い張るしかない……! うう……! と負傷した馬場台詞が出てくるまでになりました。これもまたキャラ愛、といったところでしょうか。

結局どうしたらいいのよ、キャラ愛ってやつは

 詰まる所、一人一派な部分なので人による、ですが、キャラ愛はあって特に問題はないと思うんですよ。こいつ好きだな、というを持っていて損は特にない。いろいろ使っていると愛がないとか言われるとうーん、ですが、いつかちゃんと使ってみよう、みたいな繋がりもあっていい。
 あるいは強キャラだから使う、から好きになってもいいはず。こいつ強いけど、こういうとこが特に面白いな、とかそういう把握も大事です。
 つまり、色んなキャラ愛の育み方がある、と思う訳です。
 まあ、好きでもないキャラをプレイし続ける人というのが、このキャラ愛については懸案としてあるんだろうとは思いますが、逆に言うと全くキャラ愛がないのでもそれほど問題はあるのか、ということも出来ます。
 自分はキャラ愛ある方ですが、ない人もいるだろうし、そしてそのキャラ愛は押し付けてしまうものでもなかろうと。ないから劣っている訳ではなく、逆にあるから優れている訳でもない。単にこじれているだけです。ある意味ゲームに固執するムーブな訳で、某龍院隆子様じゃねえんだから過剰にキャラ愛するにしても自分の為だけにするべきだな、とも。まあ某龍院隆子様も意外性の為だけにキャラ替えしてたりするんで、まあ何事も過剰はよくねー。ということです。
 キャラ愛のある格ゲーも楽しいぞ? とチラ見せしつつ、キャラ愛のない格ゲーも楽しいのか? するくらいの好奇心は欲しい、とは言えます。どっちつかずの結論になりましたが、まあ決着させるのが目的ではなく、考えたことを垂れ流して整理する為なので、これでいいのだ。
 ということで、今回はこんなもので。