カントクはバカだからしょうがないな! ←さわやかな、どす黒い笑顔で

 映画見に行く事に。

「ハンコック」

 やさぐれヒーロー、というヒーローネタが一周回った感のある話。真にヒーローになったと思ったら、えー! みたいな落とし方をしてきて、それはそれで好感でしたが、お前ら天変地異起こせるレベルで争ってたら歴史に残るだろ! とか思わなくも無かったです。
 だけど、どちらかというと物を壊すという映像に対して監督の心が向かっていたのでは?という印象がありました。そう思ってしまうくらいにビルが、道路が、車が、他色々な物が色々な感じにぶっ壊れます。ストーリーよりそっちのが楽しかった記憶がある時点で、この映画の想定視聴者じゃなかったのかもなあ。1時間半程で綺麗にまとまってた、疑問はあるにはあるけれども、な出来はやっぱり高評価していいと思います。どうも短目を綺麗に収めた映画は基本高評価するのが、自分の癖のようです。だからどうした、って話ですが。

それからどした

 帰ったら、やたら頭が重くて、干しておいた布団をがさっと取り込んで、敷いて、仮眠としてCD聞きながら横に。
 気がついたら夕方でした。えー、CDは15〜20分くらいで終わるからそれ聞いて起きればいい、流石にその時間で寝に入らないだろう、って思ってたのに! そのせいで本読めてねー! ぎゃあ。
 さておき。
 本を読んでいて、その本とは無関係な事が一つ、頭の中に沸いて出てきた。それについて書いてすっきりしようか。
 一応日記+感想のブログなどをつらつら書き連ねているわりに、他人の本感想というのをあまり見ることが無い。そういうものを見ると、どうにもこうにも、何か違う、何が違うのか分からないけど何かが違う、という思いに捕らわれてしまう。その何か、がまったく良く分からない時期が長く続いて、感想サイトを見ないようになっていたように思う。
 で、昨日からつらつら読んでいる本で、「教育したい」という言葉が頻出するゾーンがあった。それでなんとなくだがピンと来た気がした。疑問のピントが合ったというか、天啓! みたいなの降って且つ沸いて出てきた。そう、教育だよ、小林君! ←小林君って誰?
 見ていて混乱あるいは当惑するのが、「ここがこうだったら」というタイプの感想/批評だ、というのは大体分かっていた、が、それのどこに混乱当惑惑乱するのか、いまいち判然としてなかったのである。それが、「教育したい」という線が入る事ですーっと見通しが良くなったのである。
 つまり、「ここをこう」とかというのは、教育なんだ。教育したいんだ。俺の言うとおりにしやがれって言いたいんだ。だから私はそれを見ると、「今見たものを、自分用に改変なんて出来ないだろう。神じゃないんだから」と思って異様に当惑するんだ。そんなに教育したいなら、「その作家の先生か神にでもなれよ」って思うんだ。あるいは、「自分で書け」と思うんだ。なんだあ、そういうことか。と、一人納得したのでありました。
 と、ここまで書いて前に書いたような記憶が沸いてきた。まあ、いいか。すっきりする為だし。なんか自分でも「ここをこう」とか言ってそうだな、とも。今後はそういうことの無いように油断無く行こう。
 ああ、「自分で書け」というのは、「どうせ、自分では書けないだろう」というニュアンスではなく、「そう思うなら、自分で自分の好きなように改変してしまえばよろしいのに」位の意味です。「ここをこう」系統の教育的指導を見ると、いつも思うんですよ。それなら自分で自分用に改築した方が、その作家に自分好みに書いて貰うより、遥かに楽に、遥かに好きに、遥かに早く出来るだろう、と。その為に妄想が、二次創作という言葉があるんじゃないか? とかなんとか思うわけです。不満に対する一般的な解だと思うのですが、如何に。

それからどした

 昼寝の反動で、眠くない。今寝ようとしても寝ないのが分かるので、だらと起きてみている。でも、だらとするだけでは勿体無いお化けである。本を読もうか、と電マガに手を出そうとする。
 うひょー、「境界線上」の序章(電マガ)が読みたいのにうひょーとか言って読めないー! むっちゃくちゃ読みたいのに、むっちゃくちゃ勿体無い気がする! これを読んだら、これが終わってしまう! ←当たり前です
 いやあ、楽しみさが全速力で私の心を駆け回って、読みたいのにうひょー! どうすんの、これ。もう、これどうすんのよー! ←壊れてきた
 どうしようそうしようこうしようどうしよう? 楽しみすぎて胃のものがリバースしそうだよっ! こんな時間にリバースなんてしたら余慶に眠れないよ! どうしよう、わくわくがとまらない! こんなにわくわくしてたら寝れないよ! 就寝できないあお! うひょー! ←かなり壊れてきている