なんでコンティニューってあんな普通のオタサブカル傾倒誌*1になってしまったんだろうか、とたまに思う。一応これでも創刊から数年は買っていたんだけれど、ハチクロの増刊が出た辺りで急速に熱が冷めて、買うのを止めてしまった。こっちの熱、ちょっとエッジなゲーム誌が欲しいという熱が冷めたのか、向こうがそういう方向とずれたのか、はハチクロ増刊辺りではまだ良く分からなかったが、以後の誌の変遷をみると、やはりこちらとの方向性のズレが顕著になったんだろうなあ、と今では分かる。方向性の違いって、ミュージシャンか私は。
わかって思い起こすたびにたんなるゲーム好き誌でよかったんじゃないか、とか、やっぱりゲームだけじゃ売れなかったのか、とか色々とじくじくした思いに囚われてしまう。俺はゲームが好きだ。と同時に他のも好きだったりする。漫画も、アニメも、おねえさんも、じゃない、ラノベも。ある意味平均値的なオタな自分には、ちょっと先走った感じのあった頃の*2コンティニューは、恰好の雑誌だった。いや渇望の雑誌か。ちょっと自分がはみ出しているような錯覚、感覚が得たかった、と今は思う。今でも、そういう雑誌を求める所があるし。某Niにそれを見て、限界も感じて、今に至る、といった所か。
さておき。自分の中で最後までコンティニューを買いたいと思わせていた最後の砦は、「アーリーゲームコミック列伝」だった。内容はガキジャリ漫、つまりコロコロボンボン系の中のゲームの扱い、というのが初期のノリ。今見ると名言「これはひどい」としかいいようのない扱いだった頃のパワーとかが、とても面白かった。それから連載は徐々にゲームと漫画からガキジャリ系遊戯とそれを制そうとする大人の打算のせめぎあいみたいなのを見る方向に移った*3。それはそれで非常に見所があり、よくもまあ、こんな徒花雑誌が咲き乱れたもんだ、という感嘆を与えてくれたのを覚えている。なんというか、この時代のパワー、この遊びで一儲けしてうっはうっはだぜ! という思惑を見せ付けられたような圧迫感が最高だった。それだけ見所があったのだが、流石に安くない値段でそれだけ、というのは厳しくなり、結局後ろ髪引かれながら購入をやめた。今ではもうやってないか、と思ったら方向性はちょっと変わったようだが、ガキジャリ系の歴史みたいな壮大さをはらんだニッチ歴史超大作化しているようである。なんとなく寂しさもあるが、それはそれで面白そうなので、今度立ち読みしようかと思う。というか、全部まとめて書籍化していただきたいところだ。あの、80年代のガキジャリ系の無闇なパワー、というのは、今見ても十分に通用、はしないけど楽しめるとは思う。
とか、なんとか。
それからどした
一日家に居たのに本がまるで進まなかった俺に隙はなかった。むしろ隙だらけだった。図鑑スレ楽しー→三時間経過とか、俳人か俺は。ずかんスレ むようなちしきの たまりばか。←それは川柳だろう
さておき。
といって言うような事は特に無いか……。「放課後 プレイ」が手に入れられる時期に丁度雨降りという哀しい事態について一くさり語るくらいしか出来ない。
雨ですよ雨。自転車だと非常に鬱陶しい事この上ない天気ですよ。しかも冬は風もそれなりにあるから、更に自転車での行動がきつくなる。本当にもう、世界は何故31日(岡山市発売日)に雨なんて選択をしたんでしょうか。たぶん私に対する嫌がらせだ。とは単なる妄想です。落ち着け。
車で行け? はは、なにを仰る。俺の運転技術はそんじょそこらのペーパードライバーなんてお呼びじゃないんだぜ? というかバック駐車超苦手。他の車にぶつける自信のほうが大きい。それに、街中にも行きたいから、そうなると車は使いにくいんだよなあ。
電車で行け? 電車賃は誰が出してくれるって言うんだよ。しかも、その日は瀬戸花OVAも買う予定で、そうなると一時間に一本しかない各駅停車を駆使していかないといけないんですよ。しかも街中にも行くから相当手間。それだけで一日終わりますよ。言いすぎですが。
というような全くどうでも良いことを、わりと延々巻が得ているのが今の俺の職業状態だよ! 無のつく職業は伊達ではないです。んな伊達いらねえとか思います。よし、瀬戸花OVAは明日はろわー行くついでに取りに行こう。ちょうど明日が入荷日で良かった良かった。
とかなんとか。
そんな一日。