雑感 西田宗千佳 『ネットフリックスの時代 配信とスマホがテレビを変える』


ネットフリックスの時代 配信とスマホがテレビを変える (講談社現代新書)
(画像のリンクが物理書籍のページ、文章のリンクがkindle版のページ)

 とりあえず読んで思った事をまとめておきたいと思い、ここに記述するので前後の怪しさ、アストライアの双皿じゃねえアトモスフィアのおかしさはかなりのものだと自負できるくらいの無いようなので、まあ適当に流していただければ。自分がこの時何を想っていたかの詳述こそ目的ですから、ええ。内容について話すというのはあまり期待していただかない方がよろしい方向性を持っている感じであるようなそぶりです。さておき、いってみましょう。
 まず、テレビという放送の世界がどうなっているのか、というこの本でどういう話が脳内に去来したかというと、普通に漫画の話でした。漫画はどうなっていくのか、というのが引き合いに出たのですよ。音楽でストリーミングが主流になっていくという話題の中で、物理的な物を持たないどころかデータですら持たない、ストリーミングに移行して行くだろう、という話からそもそも蔵書という存在が今後どうなっていくのかというのがふつりと湧いたのです。個人的にも漫画を電書で買う習慣が身につき始めており、早晩電子オンリーの道に進む可能性はある、けれども、それでも何故か手元に置きたい、蔵書したいという意欲はあって、電書買った本の物理書籍を結局買う形になっています。セールで安く買った漫画はあんまり今更物理書籍を揃えるのも、という部分もあったりするので、この辺のあわいは複雑です。郷里では電書の方が早く買える場合もある、とか、本屋の在庫に無いのを速攻手に入る、とかもあり、更に複雑さが増していますが、結局、欲しい時に欲しい本を買える、というのが重要であるかな、とか思ってみたりも。欲しい、の後のどれくらいの待ち時間が耐えられるのか、ということでありましょうか。そう言う意味では、電書版の発売が物理書籍版の発売と同時であるというのは理想のりでありまして、だからそういう電書は買って読んでいます。その後に物理書籍を揃える、という手管をしていますが、これが物理書籍からではなく最初から電子書籍を、だったら、電子書籍で揃えるのだろう、という予感があります。実際そうなりそうなのが手元に一、二種あり、こうやって電子書籍へと移っていくのか、という感じも持ったりします。
 ただ、その電子書籍を持つ、すら突きぬけて、ストリーミングで、という流れに本は行くのか、というのを考えてしまうと、ここは中々分からない。どうなのだろうか、というのの一つ例になりそうなのは、エロ本のストリーミング、というものが既に結構シェアがあるっぽいことです。エロ本は、究極的には持っていたいけど持っていたくない、というアンビバレンツな存在です。持っているのは当たり前だし、そういうエロ本には一家言あるのが大体の男子の、あわよくば女子の、本質だけど、社交的に見てそれを開陳出来る場面はそう多くはない。むしろタイミング的にばらせるというのがまずない。そんな中で、それが猛烈に見たい、所持したいけど、猛烈に持っているのを知られたくない、持っていたくない、という二律の間で揺れるのがエロ本という存在であります。その、持っていたいけど持っていたくない、というのを解決するのがストリーミングではないか、という風に感じたのです。見たい時だけ見て、それ以外では持っていない状態にする、手元に無いとする。というのは大変にクレバーな解ではないかと。それに、生涯通じて読むエロ本というのは本当に会えるかどうか、遭えるかどうかの領域で、その遭遇戦をする為には今まではあまたの捨てエロ本が生み出されてきて、という訳ですが、その部分の負担が相当減るのもまた、ストリーミングエロ本の在り様であるかな、と。同じエロ本で何度も使う、というのはその刺激に慣れてしまう、偶に回遊したくなるエロ本もありますが、故に少ない訳ですが、それ故に新しい刺激の、そのエロ本を見たい! というのはふっと湧くのです。でも、これは一瞬の気の迷いも結構あります。サンプル見て感受性にびびっと、というのはありますが、あくまでびびっと、なので実際見たらウマスが全然違う、ということも良くあることです。その気の迷いで買った本が、どうしたらいいのだ……。という処理に困る場合が、ほんの数年前です。でも、ストリーミングなら、手元に残らない。数日の付き合いで済む。その間に使って、来なかったら、そのままバイバイ出来る。猛烈に来ても、やはり必要な時に買って、手元に残さない。こういう流れというのを、通常の本も通過して行くのかしら、というのがふつふつと。そもそもエロ漫画のストリーミングの売り上げがどうなのかとか全く分からない、色々な所がしているから需要はあるっぽいけど、から調べたいレベルですので眉キャプテン翼していただきたい所でもありますよ、ここは。
 それはさておき。
 ぐだぐだしてますからまとめますと、今の本というのをデータとしてすら持たない時代、というのは来るのだろうか、というのが念頭にあります。エロ本はその存在的に持っていたいけど持っていたくないという極端なステータスなので、それが顕著に出る局面、本の一分野での、だというので上げた訳です。今の本のデータってDLして手元に置く、すらどこか遠くに行ってしまうような時代になって、はたして蔵書ってどうなるのだろうか。あるいは、電書として持っていることがそもそもステータス化するような方向性とかもあるのか。その辺ですね、悩んでいるのは。個人的には、装丁な仕事の入る余地が紙の本には残されていて、それは電書化出来ない、とは今は言っていますが、その内それすら許容できるようになるのではないか、と技術の進歩から感じていたりします。図版とかもなんとかなってしまうんじゃないか。最悪、持つ重みしか紙の本には無いとかにならないだろうかとか。いや、それすら? そうなった時の蔵書ってどうなるんだろうか。と、最近考えていたりしたと書いてこの項を閉じます。まとまらない!