小林めぐみという作家に対する一仮説「現実の人」

小林めぐみ作品に通奏低音として流れているものは、「これはこういう現実になります」という考えである。
ファンタジーもSFも、基本は「ロマン」の産物である事は論を待たないと思いますが、その部分に「現実」の視線を持ち込むのが小林めぐみという作家です。 それも「データ的現実」ではなくて「人の世の現実」を。
例としては「必殺お探し人」にでてくる奇跡ハンター「コーヒー野郎」の奇跡ハンターになった理由などはふさわしいだろう。 そこにあるのは「現実は残酷だ」なんてものではなく、もっと素朴で性質の悪い、「現実だと、こういうこともありますよね」という例示だけだ。(他にも6巻「勇者の聖戦」なども良いと思う)
この「現実の人」が最近ニ方向で存分にでている。
一方が「食卓にビールを」。
もう一方が「星屑エンプレス ぼくがペットになった理由*1」である。
食卓にビールを」はSF事にでくわす主人公があくまで現実的に対処していくというだけで、「現実の人」の恐ろしさはあんまりない。 むしろ、短編という形が小林めぐみの持つ「ファンシーさ」を上手く出す結果になっている。 作家としての進歩か、形に上手くあったかは人によりけりだろうけれど。
で、「星屑」である。
こちらは、「現実の人」の真骨頂が随所に出てきている。 のっけから「死亡→サイバネ技術で復活→でも国の備品」という「現実感」。 この感じがあちこちでひょこひょこと顔をだしながら、あんまりにも解決になってない解決というこれまた「現実」的な着地点を向かえる。
そして、ラストで明らかにされる主人公のあんまりに悲壮な決意が分かる所なんかは、本当に「現実の人」の面目躍如である。 「生態ちがうとこうなる時もあるよね」といわんばかりの展開。 これこそ小林めぐみの真骨頂なのである。
あれだな、やっぱりひどいな。

*1:ISBN:4829163119

 小箱とたんの異端性と四コマ漫画

異端性、ってもなあ。
まあ、言ってしまえば「四コマ漫画はギャグをやるものである」っていう基本があるじゃないですか。 「最低でも笑いを取らないと」みたいな。*1
スケッチブックが異端なのは、一つが「生活臭が強い」。 鳥飼さんの小市民ネタなんて、もう香り立つ位の生活臭ですし。*2 すごい普通なんですね。 新聞の四コマでもしないような生活感全開のネタ。 それが逆に異端だと。
それから、動植物ネタ。 これは詳しすぎる。 作者がナチュラルに詳しくないと出てこないようなネタが頻出するのはやっぱり異端だと。 猫も好きすぎます、小箱とたん。 じゃないとあんなに優れた猫描写は出来ないですよ。 出張版の「来るなー!」の時のポーズ辺りから猫を良く見てるのが分かります。
あー、後は、道化役に相当する空閑先輩と涼風コンビですね。
空閑先輩はいいんですよ。 意図的に変であろうとしてる雰囲気だし、実際そのとおりだし。 ちょっとずれが大きいがしますけどね。
問題は涼風コンビ。 こいつら何考えてんでしょうね。 基本は愉快犯なんですけど、なにが愉快なのか分からない。 『「私は川派」 「私も」』、とか、どうすりゃいいんだよ。*3
えと、ここまでは、ネタ部分の異端性です。 次は「四コマ漫画」としての異端性ですね。
これは、もうお手元に「あずまんが大王」でも「トリコロ*4でも「まろまゆ」でもいいからもってきて見比べていただきたい。
そうすると良く見えてくるんですが、「スケッチブック」はそれらと比べて何か変なんですね。では、何が変か。
それは俗に言う「起→承→転→結」が著しくばらついてる事なんです。 他の四コマ漫画はたまには「起→承→間→転結」とか「起→承→起転→結」(ニコマの繰り返し)とかがあります。 でもあくまで「たまに」です。
その点において、「スケッチブック」は全く安定しません。 「起承転結」という形がすごくばらつきます。 だから、他の四コマ漫画にあるような通奏低音としての「起承転結」のリズムが無いんです。 「起承転→承→転→承→転→また来月」とか。「起結結結」とか変則的なものが頻出するのです。
これが読んでいて違和感を感じる要因の一つなんです。
他には…、無理に上げるなら、小箱とたんと我々とでは「ギャグ」という言葉にすごい温度差があるんじゃないか? という疑問が浮上します。 気のせいかもしれないんですけど。
以上、なぜなに「スケッチブック」でした。

*1:水島孝之がいってたんだっけか?

*2:私が一番好きなのは「高い野菜の値段を夢に見るネタ」

*3:関係ありませんが、田辺涼氷室風とでは実は氷室風の方がイニシアチブを握っています。 ネタフリは田辺涼の方が多いんで勘違いしやすいですけれど。 だからどうした

*4:また関係ないですが、「トリコロ」はギャグとして一柱でもなりたつし、そのままストーリーギャグでもあり、しかも小ネタも満載と全くの麒麟児なんですが、それだけするとやっぱり疲れるよなー、あずまんがもかなりその辺は手を意識的に抜いてたなー、とか。<追記>休筆してるのか…。あれだけトーン使ってたら時間きつきつだったのだろうなあ

 お出かけしたついでに。

「ゲーセン行く」っていったらお金がもらえた。 そこでついかっとなって支倉凍砂文倉十狼と香辛料」を購入に走る。 山越え山越え。 途中でポップンで[メガネロック]で撃沈しつつ。*1
一軒目。 前にシグルイを探しに行って余計な買い物*2した所。 無し。 しかし六塚光「タマラセ ボンクラたちのララバイ」はある。 ちらりと立ち読み。 あー。 日向悠二さんはいつもいい仕事をするなぁ。 この時点でかなり買いそうになる。 だが待て。 もう一軒、前にシグルイのあった所に行ってみてはどうか? と思い直す。 なのでかなりガマンしてそっちへ向かう。*3
二軒目。 あった。 普通にあった。 ついかっとなって購入。 あきらめない心という教訓あるいは打算する心という教訓。

*1:いけそうだったんだけど、途中で体力がきれた

*2:いや、「皇国の守護者」はいい漫画でしたよ、ええ

*3:途中で反対方向のツタヤに行こうかと思ったけど、帰り道が面倒なので止める

 じっくり読もう。

諸般の事情で著しく閑だったので、みなぎ得一足洗邸の住人たち。」と八房龍之助宵闇眩燈草紙」をじっくり読んでみた。 すると、少し面白い事が分かったのです。

  • 宵闇眩燈草紙」は「長方形」である。
    • コマが、ほとんど「長方形」なんですね。 どんな構図であろうと「長方形」。 アクションの所では斜めの仕切り方をするんですけど、ここでも結構「長方形」が基礎として貫かれてます。
    • 前から八房龍之助の作品に妙にカクカクというか「直線」のイメージを感じていたんですけれど、これが要因のようです。
    • パーセンテージで言うと大体平均で99パーセントが「長方形」です。
  • 足洗邸の住人たち。」は逆に「長方形」がまるでない。
    • すごく変わった形のコマが頻出します。 V字とか、台形、平行四辺形もあります。
    • パーセンテージで言うと大体「長方形」は10パーセントです。
    • 後、しわやら木目やらひびやらしみやらを異常に描きこんでるの再確認。
      • でもあんまり神経質に見えないのは、「空間」じゃなくて「物体」に書き込んでるからなのかなーとか。
      • 「それだけ線が必要な人」というのも考えられるんですけれども。

 ヤベ―――ヤベ―――

未だに川上稔終わりのクロニクル7」をちらっと読んで泣くのは流石に自分でもどうかと思う。
アレックスーーーー! ハジ義父さーーーん!「叫ぶなや」
うおおおぅぅうおおうおう!!
「あれだな。 バロネス・オルツィの『ヤベ―――ヤベ――― プロのすることじゃねえな―――』て感じだな」
いいもんプロじゃないから。