小林めぐみという作家に対する一仮説「現実の人」

小林めぐみ作品に通奏低音として流れているものは、「これはこういう現実になります」という考えである。
ファンタジーもSFも、基本は「ロマン」の産物である事は論を待たないと思いますが、その部分に「現実」の視線を持ち込むのが小林めぐみという作家です。 それも「データ的現実」ではなくて「人の世の現実」を。
例としては「必殺お探し人」にでてくる奇跡ハンター「コーヒー野郎」の奇跡ハンターになった理由などはふさわしいだろう。 そこにあるのは「現実は残酷だ」なんてものではなく、もっと素朴で性質の悪い、「現実だと、こういうこともありますよね」という例示だけだ。(他にも6巻「勇者の聖戦」なども良いと思う)
この「現実の人」が最近ニ方向で存分にでている。
一方が「食卓にビールを」。
もう一方が「星屑エンプレス ぼくがペットになった理由*1」である。
食卓にビールを」はSF事にでくわす主人公があくまで現実的に対処していくというだけで、「現実の人」の恐ろしさはあんまりない。 むしろ、短編という形が小林めぐみの持つ「ファンシーさ」を上手く出す結果になっている。 作家としての進歩か、形に上手くあったかは人によりけりだろうけれど。
で、「星屑」である。
こちらは、「現実の人」の真骨頂が随所に出てきている。 のっけから「死亡→サイバネ技術で復活→でも国の備品」という「現実感」。 この感じがあちこちでひょこひょこと顔をだしながら、あんまりにも解決になってない解決というこれまた「現実」的な着地点を向かえる。
そして、ラストで明らかにされる主人公のあんまりに悲壮な決意が分かる所なんかは、本当に「現実の人」の面目躍如である。 「生態ちがうとこうなる時もあるよね」といわんばかりの展開。 これこそ小林めぐみの真骨頂なのである。
あれだな、やっぱりひどいな。

*1:ISBN:4829163119