「らくえん 〜あいかわらずなぼく。の場合〜」考察 『あいかわらずなぼく。の行方』

まずはじめに

今回はネタバレ全開で書きますんで、いまやっている方、将来的にするであろう方、 「はかった喃 はかってくれた喃」という可能性のある方、とっとと散れ、もといすっとんで逃げてください。
それでも問題ない方、既にやって終わった方、モーマンタイな方、「問題無し(ノープロブレム)だろう」な方、「当方に迎撃の用意あり」の方、「ジャべ大総統閣下、超万歳っ!」な方はどうぞ。
「ごゆるりと・・・。」

らくえん」の構成について

まず最初に「らくえん」の成り立ち方を考えて見ましょう。 少々ややこしいですけれど、「らくえん」は「らくえん」内では「美柴可憐の書いたシナリオ」という倒錯的な立場にあることがみかみルートで明らかにされます。 で、この「らくえん」の内容は「プライベート駄々漏れ」の「エロゲ的なサービスはあるものの」、「半年前(あいかわらずなぼく。製作中)の僕たちの日常」であるとされます。
つまり、「らくえん」の話にあった事は、エロシーン以外はほぼ実体験に基づいている部分があるということです。 よって、この「らくえん」におけるラストは必然的にみかみルート、と言う事になります。(これはみかみルートに入ってしまったらどうやってもみかみルートのエンディングに辿り着く事からも、そう判断できます)
しかし、それだけでは「あいかわらずなぼく。」がどうなったかは分からない。 そうなると、問題は「どこが虚構なのか」と言う点になります。
これは、みかみルートとの矛盾点を切り出す事で見えてきます。

みかみルートとの矛盾点

さて矛盾点です。
基本的には、みかみルートと他のルートではエンディングと「あいかわらずなぼく。」の状態以外で矛盾の起きる所はありません。 殆どが同時多発的に起きてもソゴを起さないのです。 なので全部あったこととして考えて見ます。
するとただ一点、矛盾する所があります。 それが「美柴可憐が病気で倒れる」シーンです。 これだけ、「主人公と二人だけ」と「みかみがついてくる」の二パターンが存在するのです。
このシーンが意味する所はなにか。 それは「美柴先輩」が「可憐」と呼ばれる展開が無かったと言う事です。 つまり「可憐」と呼び捨てにする部分は全て虚構となります。 そうなると美柴ルートの「プロジェクトムーナス」展開は無かったと判断できます。 これにより「あいかわらずなぼく。」は発売されなかったと推測されます。
結局、みかみルートの流れが正しかったと言う事です。 所々に出てくる「あいかわらずなぼく。」の内容、そして美柴ルートは、この世に出なかった作品の供養だったのでしょう。
 
さておき。

補 どこまでいけたのか

そうなると不思議なのは、亜季ルートでのデバッグ作業です。 妙な生生しさから見て、こういう局面があったことは間違いない。 でも開発は途中で中断したわけで矛盾が生じます。 ではどこでデバッグは起きたのか?
この矛盾を解決する手段があります。 それは冬コミに向けて作った「体験版」です。 つまりデバッグ作業の光景は、「体験版」でのエピソードを使っているのではないかと推測します。
しかし、結局の所「体験版」止まりで、本編自体は完成にはいたらず、企画は凍結されたのです。
 
では、以上をもって「らくえん」の考察を終了といたします。 お付き合いありがとうございました。