ネガティブ風味? 妄想風味? なので続き記法。

  • ニュースサイトか何かで流し見たんだかで、なんかゲームの感想がどうだかだと勝ち組とか、のたまってたのがあったような気がする。
    • それがなんだかのどに引っかかってるんですが、そもそも勝敗とは縁遠い感想を“勝ち”“負け”の二種類にしか分けられないというのが、ジョニー・ジョースターっぽく言うと「かなり爆笑」。
    • 人がたくさんいて、それぞれ影響しあって色んな考えが吸収されたり広まったり淘汰されたり剽窃されたりするものが感想なんだから、二種類以上に分けられるんでは?
      • ゲームは様々な要素が、あっちが立てばこっちが立たずな按配で折り重なって支えあって足引っ張り合って一つの形を見せるものなんだから、様々な意見があってしかるべきである。
      • つまり、二つ程度の見方で分けて満足してるんじゃあ、ゲームもあんまり楽しめないんじゃないか、とか妄想う。
  • 映像がフィクションもリアルも映し出す時代に生きる我々にとって、昔の文学論は意味をなすのか問題。
    • 書く方も受け取る方も、フィクションも自分が生きている付近以外のリアルも文章しかなかった時代と今とでは、明らかに何かが違っていそうな気がするのだけれど。
    • だから、単純に昔の人の言った文学論をそのまま援用して今の文学論を作っていいのか? おいぃ? とか思った。思っただけ。
      • まあ、その辺りをちゃんと踏まえたのが、どこかにあるのはまず間違いないけど=自分が知らないだけだろうけれど。