それからどした

 昨日渾身みたいなら、と称して深堀骨を読め連射王を読め、と書いてみたが、よりにもよってあれなあれを選んだのにはわけがある。
 それは、「おいィ? あなたに渾身がわかる道理がどこにあるのですか?」という疑問があったからである。渾身で出されたものが渾身であると、どうやったら理解可能であるのか? それがイマイチ判然としなかったからだ。自分がそう思う、であるなら誤認である可能性もあるわけであるからだ。(選んだ二つは渾身度が普通と違うので、特に例としてあげやすかった、というのもある)
 それに、杓子定規に決められ固められて書かれたものが渾身でない、という理由も無いと思う。その狭い中で足掻きもがき苦しみ生まれたものも、渾身といえる要素があるのではないか。
 それを一概に「渾身ではない」、と断ずるのは些か早計ではなかろうか。
 とかなんとか思う。