今まで聞いた中で最高に力の入りすぎた言葉の一つです

 ヘルシングOVAの強力若本も力が入りすぎていて、何かは分からないがでも何かが間違っている出来栄えでした。それに匹敵する言霊を発するビックバン凄い。あれだけ大口叩いておいて、というのを含めて凄い。そこだけなんども繰り返し繰り返し聞いて、そらでイントネーション含めて言えるようになってしまった。最後の方が少し早口なのがポイント。
 で、話は変わって、ヘルシングのOVA4巻目をやっと見たわけですよ。ああ、これくらい気合入れて作ってくれると、見る方も楽しみに出来る。買ってるわけではないから、遅延しても気にならないし。内容的にはよくもまあ、これだけ力入ってるな、というか。今回は中譲が笑いまくりで、若本もしゃべりて、でも最高に良い所はラスト10分に集約されていました。いやあ、本当に楽しい楽しい。原作ファンにはありがたいOVAであります。
 さておき。
 10日目ー。技能1。計、技能10、学科12。技能は12では終わらない可能性が高くなってきた。というか無理龍。あー。
 とかなんとかとんとん。

それからどした

 何か考えていたような気がしたのに、いざとなると忘れる事態。確か、確か、確か、確か。
 思い巡らしても、記憶は戻らない。最近記憶力の減退が目に見えて酷くなってきた。もう、長くない。は、さすがに言い過ぎか。このまま老いていくのかなあ。
 それはさておき。
 オタク/おたく/ヲタクって、成りたくて成るものなのだろうか、という疑問がだらだらネット見てたら沸いてきた。相変わらず何処を見てそうなったのか分からないので、適当に騙るわけですが、成って楽しいか、と言われたらそれは楽しいですよ。その楽しそうさに惹かれる/引かれるのもわからなくもない。楽しそうなのには、近づいてみたいのは神代の昔の神すら抗えなかったある種精神性を持つものの習性といえるし。
 でも、これは天然自然で会得した境地であり、いうなれば成りたくて成ったわけでもないのである。「死んだら驚いた」というか気がついたらこうなっていた、というか。だから、どれどれを見たら即オタク/おたく/ヲタクというものでもないよなあ、と考えてしまう。確かに、オタはそれっぽい種類を見ている、読んでる、楽しんでいる。でも、それを同じように摂取したからといってオタクか? と言われても、どうなんだろうとしか。傍目からは同じようには見えるけど。
 はた。傍目から同じように見える、というので十分なのか? オタク/おたく/ヲタクというくくりを得れば、成りたいという人はそれで満足なのだろうか。いや、違うだろう。重要なのは楽しそうさを味わえることだ。他人からの見た目が問題ではない。はずだ。
 では、同じように見れば同じように楽しめるか? となるが、これはそうなれば問題ないんだけれど、往々にして同じようにしても同じように楽しめないことはある。同じ見方同じ聞き方同じ取り方でも、楽しいと感じれない場合は、当然あるのだから。そして実はその時こそ、オタク/おたく/ヲタクであること、いやこの場合は成ることか、のとば口に立っているのである。同じ見方・聞き方・取り方ではなく、楽しい、己にとって楽しい見方・聞き方・取り方を会得する、とば口に。
 とかなんとかとんとん。

それからどした

 洋画劇場で「コンスタンティン」をやっていたので見る。一度DVDで見ているので大体の内容は分かっていたが、やはりいつ見ても極めて面白いわけでもきわめて駄目なわけでもない、でもどこか微妙な琴線を逆なでするところのある、妙な作品だな、とか思う。要約すると「死んだら驚いた」でいいか。後、「煙草は体に悪い」とかか。