オタ教養集中妄義 その7こそふさわしい

建前

 この項は、オタクの教養とはどういうことか! という謎の大上段からの逆袈裟という矛盾を自分の中でどうにかしていくものです。
 7回目ですが前と言っていることに矛盾、あるいはそもそも同じこと言ってないか? ということもありますが、自分の中に渦巻くものを形作って理解を深めるのを主目的、垂れ流すのは半ば嫌がらせなので、その辺は気にしても仕方ないのだ! 明らかさまにニンジャなのだ!
 ということでれっつごー!

オタクとは教養を持てるものだろうか

 というのが最近の自分の中のトレンドです。オタ教養は、あります! というのは基本的に頷くとこもありますが、オタクにとって重要なのは、教養であることではなく、それを己としては面白いと思えることではないか。そういうテーゼが個人的に確立しているのです。
 そもの”教養”というのが読書による人格の形成、あるいは学問による人格の形成、という部分があるものですが、オタ教養となるとそれはどうなのかという疑問が沸き上がります。オタ物件で人格の形成、と聞くと成程納得となるか、ちゃんちゃらちゃんになるか、その辺は人によるでしょうが、見ていて人格がもりもり育つ! という作品は寡聞にして知らないので、あんまりそういうのは無いのではないか、という結論に至ります。”教養”の方も人格とか言うのは怪しみがあるので、オタ教養だったらそりゃあねえ、という。
 そもそも、オタクにとって作品というのは楽しむ物で、教養を肥育するものではない、というかつまらないなら一々通っていかない、というものである、とも言えると思います。知識についても知っていて得をする、あるいはそれの知識によって楽しさが増すなら、知っていてもいいだろう、くらいの立ち位置の場合がほぼ全部です。
 これ知っていると楽しめるよ? に持っていけるのはオタ教養なのか、それとも違う能力なのか、という部分を考えると、だいぶ話が早い気がします。紹介業は教養持ちなのか、ということですね。これについては古いのが絡んでくると、俺より先に生まれただけじゃないかまであるんですが、色々補助線を引ける人、というのはやはり得難いので、ここは教養があるといっておいた方が、後々都合がいい気もします。
 話がどんどん些末に飛びますよ。オタにとって教養は要るのか、というのがこの項を書く動機であるところの疑問点ですが、これはもっと発展するとオタにとって面白くないものはいるのか、という点に到達する気がします。興味がないけど、これの為には見ておかないと、というのが楽しいのか、という疑問点ですね。それで興味が増すくらいに面白ければいい、というのではなく、そもその行動がオタとしてありなのかという問いです。誰かの作った舗装道を歩くのが、オタとしてありなのか、という疑念とも言えましょう。そういうのはどの道誰かが通っているんですが、そこに対する選択が自分が楽しいでなく、周りに合わせたい、でいいのかということです。小耳に挟んだところでは、オチを知って楽しくなければ見ない、というネタバレという概念すら超える存在がいるという話ですが、でもそれは自分が楽しいのなら、ありなのでは? ということでもあります。それは周りに合わせてではなく、自分の訴求に忠実なら、その行動も認可されるべきだ、ということで、事ここに至って教養と関係ない話になり始めました。
 戻します。
 結局のところ、知識があれば楽しめる、というのは大体のものの基本なので、それを求めて動くのはありだろうと。しかし、それをあえてしないという筋も残されてしかるべきだ、とも。確かにそっちを知っている方が面白いのだろう。でも俺間違ってる方行くわ……。という精神も、やはり持たせてもらいたい。それでこれは斬新だった! というのを過去を知らずに言う、というムーブに対してはくさくさするとこもあるでしょうから、そういう発言になりそうなところで言わない、という所作、態度は必要でしょう。でもやっぱりそういうことを間違って発信すること自体はあること、として許容する必要があるのではないか。車輪の再発明を、していく人が毎度出るのはある意味新しい風が入っている事実である、という見方が必要なのではないか。まあ、それでも迂闊な人の言はイラっとくるんでしょうけど。そこんとこが分かる所作、態度をどう作っていくか、という方が思考としては身がありそうです。不可能でしょうけど。
 話が混乱してきました。計画通り! とキラ顔です。書いている本人も何が言いたいのか分からなくなってきていますしね。
 オタは面白いことを求める、それも積極的に。と考えると、教養という過去に立ち戻るのは、あるのかないのか。過去が楽しくなるタイミングもあるだろうから、教養を求める動きをすることも、無いとは思わない。あるいは前提条件を知っているといい、というので求める動きもありとは言える。でもなんというか、オタの求める面白い、は先に向いているものではないかと思うんですよ。新しいものがすべて正しいとは言い難いのは分かるんですが、でもそれでも面白いもの、今面白いものを志向するのが、オタなんじゃないか。そこに対して過去がどう影響できるのか。そういうことなのかなあ。
 と何がそうなのか分からないことを書いていたらだいぶすっきりしたので、この項はここで終わり。