オタクと教養とオタ教養についてぐるぐると、の壱

初めに

 前から頭の中で残留している、いや、くぐもっているか、とにかくそんなオタクと教養とオタ教養についての由なし事を書き連ねようと言う気持ちになりました。話がまとまらないのは「100%中の100%!」なので他人さまが見て楽しめる内容にはならないでしょう。基本的にその辺は出来るだけ考えるけど、出来ないなら考えないという方針なので、飛躍とか破綻しまくりになるでしょうが、とりあえず自分の中にあるもののアウトプットしないとどう調べていいかもわからんので、とにかくやってやるです!

壱<オタ教養について。脱線をしながら>

 <オタ教養>とはなんだろう、というのはかなり前から考えている事です。唐沢俊一&鶴岡法斉『ブンカザツロン』を読んでから、だから既に十数年経過している。特にこれ! と決めて考えるというのが無かったので、何年も掛っているのだが、それでも掛り過ぎである。それでまだもやもやしたものしかないのか、というもそれはそれだが、そういう内容に触れる情報というのがあまりに無いので、そして一回その方に手を出したらリーチの長さで目がくらむので、どうしても延び延びになっているのであるという言い訳をぶっぱする。
 さておき。
 簡単に、<オタク>の内容な<教養>だよ。というのは単純な意味で正しい。しかしそれでは、取りこぼす物が大量にある気がするので、考えているのである。オタクの内容、とはどういうものか。オタの教養とはどういうものか。そもそもオタクとは、とか教養とは、とか考え出してしまうのである。リーチが長いとはまさにこれゆえである。あんまりそこまで考えないでもいいのではあるが、どうしても深入りしてしまう。そして、そういって深入りしないと、見えてこないのではないか、あるいは見逃してしまうのではないか、という相反した思いも持つ。つまり、ほどほどの距離に詰めないといけないけど、前例が無いのでほどほどもくそもないのである。と言えるか。
 前置きが長い。が、最初に断っている通りなので、このノリでいく。
 そんなよく分からないもののまず、どこから手をつけるか。<オタク>か、<教養>か、<オタ教養>か。であるが、今回はまず試しにオタ教養から始めてみよう。いきなり複合からか、というのは確かにそうだが、まず基本的に気になっているのはオタ教養なので、そこから、である。後々から<オタク>と<教養>については順次分け入っていきたい。
 という訳で、オタ教養である。オタの必修事象とここで言い換えてもいいのかもしれないのだが、これはどうなのか、とまずケチがつく。必修とは、一体どうしてなのか。よりも更に入れば、必修とするものの内訳とその理由に言が及ぶだろう。そして、それが、自分がこの事についてどうしても考えてしまう事なのである。必ず修めるべきとは、どういう事なのかと。が、そこを考えると<教養>に深く入る事になるのでひとまず棚上げして、<オタ教養>の内訳の話をすりかえる。
 この内訳は、実際の所これを、という物が世間一般に流布するようなものは、実際ないと言うのが現状である。何故に、と問う。故に、と答える。何が故にか、というとオタクとして世間一般に通用する基準線が無い事である。いまや、オタクという語が含意する方面は大変広くなったのは論をまたない。世代分けするのはそれはそれで取りこぼすのだが、ここはこれ以上自分が混乱しないように世代分けをあえてすると、所謂第一世代と言われる人達の頃のオタク物件と、今の第四世代から第五世代のオタク物件の量の差は歴然というか慄然であると言える。これはそれだけオタク出来る物件が横に増えた事も、また昔の物が積み重なっている事も理由になる。物理的な問題で昔の物で見られない物はたくさんあるし、時間的な問題で視聴読を全部するのも難しい。そういう困難性がある。
 というのを前提とすると、結局オールオタク物件を知る人というのは、第一世代も当然だが、誰一人いないだろうというのは想像に難くない。そもそも、オタク物件は節操無く増えていく。言葉の含意自体が最初期の、<おたく>とは違っているとも言える。そういう中にあって基準となる<オタ教養>があるのか? という考え方に行きつくのも理の当然だろう。
 教養を言いたてる場合に出る「あいつは知識が無い」、というのは誰もが無いのである。全部知ってる人間は、この世に存在しないと断言してもいい。それは人が死ぬのと同じくらい当然の、そして必然の事だ。昔の<オタク>界隈に知識があるのはそりゃ昔から生きてるからだよなあ、という風に感じるし、そもそもその界隈で通じる話の知識に特化すればいいのだから、知識の一点突破してきたというべきだろう。そして、今の<オタク>と元の<おたく>では、一点突破のやり方が変わってしまった、というのが、<オタ教養>を言いだされた時に感じるもやもやの、一因ではないかと思う。
 知識が無い事は当然ある。年齢が違えばその総量が当然違ってくるからだ。とはいえ、先行作品を知らないで、その先行作品を後発作品のパクリ! というのはまた違ったレイヤーの問題点である。そしてここにこそ、<オタ教養>という考え方のいい点があるような気がする。それについては、また別の機会に。うん、脳が力尽きた。
 なんかいい本とかあればおしえてくだちい。