今、時代を特に席巻していないオタク教養とは その1

この項について

 事実として「なんだよこれ! どこだよここ!」という『仮面ライダー剣』の吊るされ睦月状態なくらい、世の中など席巻していないオタク教養と言う言葉。
 ですが、とりあえず自分としてはこの言葉をどうにかして腹落ち、腑に落とさないのです。とにかく自分の中で延々と考えるタスクとしてあるのです。
 この言葉を納得する為に、長年思考を重ね、書を読んでまいりました。とはいえオタク教養の書など無いので、なら教養について知ればいいのよ! という方向性に走り、悲願は達成されませんでした。
 というのも、世の中にある教養という言葉自体結構ふわふわタイムだったのです。ああ、ふわふわタイム、ふわふわタイム。
 内容的には言いたいことは分かるんだけど教養とはちょっとずれてますよね、というのから、確かにそうなんだけど他に施行しにくいなあ! というのまで千差万別会者定離。中々使える本がなかったのです。会者定離
 そういう訳で、今一つ自分の疑問点に答えてくれる本に巡り合わないままで過ごしてきました。ですが、最近、ようやくまことの教養の本に巡りあい申した。無頼の日b「道場は芝居をするところにござらぬ」。となる一冊に出会えました。
 それが戸田山和久『教養の書』。

教養の書

 『教養の書』と大上段過ぎて誤チェストする以外なさそうな題名ですが、内容的にはチェスト関ヶ原なものとなっています。
 教養とは何か。何を志向するのか。どうすれば教養を持った人となれるのか。
 そういう疑問にカカッと、当然作者独自目線ですが、迫った一冊です。特に、教養とは何か、と言う部分を語る序盤はオタク教養について語る上で、ベストコンディションの姿である。と言える絶妙な要素抽出をしており、これをそのままオタク教養に施行しても問題ないというレベルのものです。
 なので、この本の論点を下敷きに、オタク教養について考えていけば、わりと妥当なところが見つけ出せるかもしれないなどと、その気になっていた俺の姿はお笑いだったぜ。
 確かに見えることが増え、考えの指標が出来ましたが、それとオタク教養について考えをまとめるのとでは雲泥の差があったのです。
 ということで、まとまらない言葉をどうにかまとめる感じで、この項はやっていこうと思います。たぶん、何回かに分かれそうですが、書き出しの今はまだそこは思いもつかないところ。果たしてどうなる。
 さておき、それではいってみましょう。

便宜上第一回と記す、オタク教養についての思索の一端

オタク教養の字義について

 オタク教養とは何だろう。
 ここで私がなにそれ知らん、こわ……。となると、皆様方はお前がそういうこと言いだすと、俺、孤立無援じゃねえか! と増田こうすけ絵になられるかもしれません。しかし、自分で言いだしながらかなり得体のしれないのがオタク教養です。謎が多い。
 とはいえ、上掲書のおかげでおおいた議題の方向性が分かってきたので、その点をまとめながら、適当な発言を続けたいと思います。
 とりあえず、オタク教養と何か、という点から詳らかにしていかないことには始まりませんが、この後の展開を見越して、教養Verオタク、という適当なでっち上げをしておきたいと思います。
 言い方変えただけですが、そもそもの教養からわからんと迫れないので、まず教養とは何かから始動します。

教養とは

 教養とは、というのは『教養の書』では序盤に一つの解が出されます。
 この解については全文抜き書きしたいのですが、それは引用の範囲なのか? と言うレベルには長文で、且つわりとその部分が出るまでの間に出た言葉とかの方がオタク教養を考える上では重要であったりもするので、解については見てください! と市原由美ボイスで言うとして、その途上の言葉から話をこんがらがらせたいと思います。
 そもそもの話、皆様は教養と言われて何を思い浮かべられるでしょうか。唐突な質問失礼。
 さておき。
 何が浮かびましたか。
 知識。それは是ですね。『教養の書』でも知識について触れられています。知識はベースとして大事なものと。
 しかし、そこにプラスアルファが必要なのでは? というエクスキューズもなされます。
 例えばクイズを答えられるのと、教養があるのとでは些か以上に乖離がある。クイズ王が教養がある、といわれるとワッザ!? という風になります。
 これゆえに単に知識があるのだけでは、教養にならない、とも言えます。
 立ち振る舞い、態度、言説に教養が出る、という方向性もあります。そこ関連の大体の話をまとめるとおおよその教養に関するプラスアルファは、この部分に感じるのではないか、と思います。
 単に知識があるだけではない、という所作に教養の教養たる部分があるのです。
 この知識に対するプラスアルファに対して、『教養の書』ではいくつかの例示がされます。
 その中で個人的にピピッときたのは、教養のリレーを繋ぐ、という話。
 完全な個人解釈だと前置きをカカッとしておきますが、教養することである文化の精神性をその文化を受け継ぐことで繋いでいく、という話だなと受け取りました。
 つまるところ、教養とは継承の側面がある、ということです。

継承は出来るか?

 この点において、オタクはそれが出来るか、というのは中々クリティカルなとこかもしれません。残せていけているか? とネイチャージモンすれば、バッドネイチャー! となる気がする人も多いでしょう。
 ですが、俺は残せているか? なんて思うのは実のところちゃんちゃら3時のお菓子は文明堂です。何故なら何が残り何が残らないかなんて、個々人の努力とは乖離したところで決まるからです。特にオタクの守備範囲は泡沫なとこが大いにあります。そもそも残せない場合が多いのです。
 『突撃!ヒューマン!!』のように公開録画ゆえに残らなかったものから、昨今の泡沫ソシャゲのように電子の海にしかないゆえに残らなかったものまで、出来不出来以前の問題で残らないものの上に、オタクは生きています。
 とはいえ、だからといってオタクに教養はない、とはならない。むしろ、そういう残らなかったものがあるからこそ、対比として残ったものが際立つのです。
 そもそもとして、教養の起点である古典の時代には、古典以外にも色んな情報があったはずですが、いってもそれらは継承されなかった。
 つまり、古典しか残らなかったという言い方もできます。古典でも、古典になれなかったものの上に成り立っている、とでも言いましょうか。
 だからこそ、古典を継承する、というのは意義深いとも言えるのですが、話が逸れていますね。オタク教養の継承についてに戻りましょう。
 オタク物件を継承する。そしてオタクの精神性を継承する。
 これは、難しそうにみえますが、現在ではそこそこやりやすくなっている、というのが私見です。
 というのも、昔のものにも現代はアクセスできる可能性は広くなっている。情報も拾えるのです。これをもって精神性の引き継ぎは出来やすい素地はあると言えます。
 先の『突撃!ヒューマン!!』にしても、映像としては現存していませんが存在していたこと自体は伝えられ続けているし、泡沫ソシャゲもネットの海に記憶を少し残されていたりので、その事例からみるに、そっちの、継承としてのオタク教養は成立すると言えるでしょう。
 そういう端の話ですら継承はあるので、ちゃんと名を残せばちゃんと知識の引継ぎ、精神性の引継ぎは出来ている、と思う訳です。

大局を見る

 オタク教養に継承の部分はあります! と言う話をしてきましたが、教養の知識面以外の、プラスアルファはそこのみにあらず。文化の大局をみて、ある一品が歴史のいかな位置にあるか見極めるのも教養のプラスアルファです。
 ここの面に対しては、オタク教養は弱いところがあると思っています。
 というのも、オタク物は大体世の中の、大枠の歴史の上では大したものではないからです。
 オタクの枠の中では重要でも、大きく人類の歴史まで見れば大したことはないもの。そういうものにオタクは惹かれる習性がある、とすら言えます。それで大局はさっぱりな感じです。
 そう言う大枠からの視点では、オタク教養は無きに等しいとすら言えます。
 ですが、無に等しい、だからこそだろうがっ、というコミックマスターJの言葉を、オタク教養は出さないといけない。
 確かに世の中としては際物、半端物かもしれないけど、オタクとして譲れない部分がある。
 それこそオタク教養なのではないか。
 そして他の価値基準と違う物を残すのもまた、教養の継承ではないのか。オタクとしての大局、つまりオタ的大局、というものがあるのではないか。
 これは大局と言いつつも偏りがあります。オタクの方向性で特化している段でそりゃそうよ。
 しかし、世の中の誰もがバイアスがあること、そういうのから脱せない点から考えると、前掲書の言う大局もわりと人によるとこがあるのでは、とも思います。『デイアフタートゥモロー』の燃やすわけにはいかない、というものが、教養者の端くれならそうだろう。活版印刷最初のものだろう。
 なんですが、もし仮にオタがその位置にあったら、違う選択もあり得るのではないか。
 そここそ、オタ教養のあるところなのではないか。そう思う次第です。

ひとまず

 大局感があり、その精神性の継承の系譜が教養であり、オタ教養もそこに付随できるという話でした。
 とはいえ、オタ教養の大局感は教養のそれとは方向性が違う点もあるし、継承も思い思いの方向を向いている気もする。
 その辺を掘り下げる必要がありそうですが、だいぶ長くなったのと思考がこんがらがってきたのとで、今回はこの辺で一旦終了します。
 個人的にはおおいた方向性が見えてきたんですが、まだ考えることは多いし、派生で別の考えも浮かんで、ちょっとまとまらない。ちまちま書き出してまとめたいところです。
 さておき今回はこの辺で。したらな!