混ぜたら驚いた

 なんとなく本屋で見た題名を色々改ざんしていたら、今日の日記タイトルとなった。単純につなげただけなのだが、妙にしっくり。あくまで自分内の島耕作イメージに、だけど。
 さておき。
 攻める“楽しい”というのにはファン活動がある。これは攻めだ。自ずから、ファン対象から楽しいを生み出すは、つまりファン活動は攻めである。
 だからこれは楽しいである、がそれからのことは?
 以前、ファン活動と言えるオタ芸に苦言が飛んだ時があった。それについては諸説紛々あるだろう。それはそれ、これはこれとして話を進めるがファン活動は楽しいである。それはいけないのか? 楽しいはいけないのか?
 答え生半には決まらないがどちらかというと大イエスだろう。
 オタ芸は確かに自ら楽しさを捏造しようとする、攻める“楽しい”だ。が、それからのことは?
 それは自分にとって*1、楽しいのは間違いない。楽しいは当然、楽しいからだ。
 間違いは自分*2だけが楽しいということである。自分の楽しさを追及する。攻めとはそういう方向性である。
 が、端的にぶった切って言ってしまえば、人は誰しも“おれ”じゃない。自分が楽しいでも、同じ楽しいを他の人が共有できていると、誰が決めたんだ?
 この辺りが攻める“楽しい”の問題点である。自分の脳内で楽しいを捏造しているうちは、発さなければ問題は少ない。が、他人に影響が出るとなると、他人に対してもこの楽しいが通用するか、考えなくてはならなくなる。そのハードルをちゃんと考えないと、そのうち楽しいが諸所の理由で楽しくなくなるかもしれない。
 とかなんとかとんとん。

*1:あるいはある集団において

*2:あるいはある集団