感想 梅原大吾 『勝ち続ける意志力』

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

最初は恐る恐る、だったけども

 格ゲー有名プレイヤー、このウメハラの金言に、酔いな! というノリ、あるいはてめーら全然駄目だから! 俺の凄さにビビッてろよ!というノリで書かれた本かと最初はためつすがめつな方向性、というか眉唾をガン掛けして読んでいた本でしたが、気がつくとその明快な論説に見事に当てられてしまいました。だからためつすがめつだったのに! という程度には理性は働きますが、何の条件もプラスしないで「いい本です」とコミックマスターJ面したくなる、それが『勝ち続ける意志力』の持つポテンシャル、あるいはウメハラの持つポテンシャルという物なのかもしれません。という世迷言を垂れるんだから、どれだけビンビン去来したか分かろう物です。

ウメハラ、自分語りするの巻

 世迷言は放っておくとして、どういう本であるかと言うのは、かなり明確です。ウメハラが勝ち続けてきた、その理由を、ウメハラが半生を振り返りながら語り尽くす。言ってしまえばそれだけと言うシンプルな内容です。しかし、それだけだというのにこの感じ、一体なんだ!? というレベルで、ウメハラの話がビンビン来ました。同時代人だという部分で去来する物、というのもありますが、それ以上に、虚飾を出来るだけ交えないように、ただありのままに、というウメハラの心理が見えたりするからかもしれません。まあ、自伝めいているので本当かどうかのジャッジを下す事は本来不可能なのですが、それでも本気で、自分の事を、勝ち続けるという方法を語る為に赤裸々に綴っている、と思えると、なんだかとっても、ありがてえじゃねえか……。とCV稲田徹で涙せずにはいられません。

ウメハラ半生についての徒然

 ウメハラが、ゲームに対して本気を出していいのか。それを、単に勝つのではなく、勝ち続ける、継続してし続けるという事に対して、思い悩んでいた。それも最近、プロになるまでという長い間という話はなんとも言えない辛さを感じます。ゲームを卒業して、違う道に進もう、という時代があったというのは、個人的に驚きがありました。丁度その頃は格ゲーと疎遠だったので、ウメハラがどうなっているかという情報は全く仕入れていなかったですが、だからこそ格ゲー超強い人という雲上人の趣すらあったウメハラが、そこから、ゲームから離れていた、と言う話は衝撃でしたよ。でも、そこから戻ってこれたという幸運、あるいは進展というのを見ると、もう、バカ。という惚れの言葉すら湧いてくる、この親近感! 今まで雲上人だったのが、こうやって内実を明かしてくれる。それだけで、惚れてまうというものです。そして、格ゲーに帰ってこれて、おめでとう! という気分にさせてくれるんだから、文の切実さと巧みさのバランスの高さをや!

勝ち続けるとは

 この本の基本がウメハラ半生記でありますので、題の『勝ち続ける意志力』はどうなっているのか、という向きもございましょう。その点については、自分がこう想い、こう考え、こうやったから勝ち続けられた、という事もきっちり記されていますので、問題無いかと思います。問題があるとすると、その方法論が普遍的に使えるかどうかのジャッジが大変難しく感じる所でしょうか。基本的に内容を要約すると、努力し続ける事、進歩し続ける事、そして楽しみ続ける事、という三ワードで終わってしまうんですね。ただ、それだけゆえにハードルが人に寄っては劇的に高く、あるいは無明に感じてしまうかもしれません。だから、それお前個人だから出来る事やろ! という言が出てくるのもまた必定なのであります。しかし、それでもこの言葉が無闇に響くのは、実際に勝ち続けて、実績をあげ続けて今に至るウメハラという存在があればこそ。逆に言うとそうでないと響かない人が多そうでもある、という事でもありますが、そういう意味では書く人が書くべくして書いた本、という側面もあります。

あるいは聖典

 最初に眉唾していたとは先に書きましたが、同時に、「これはもしかすると聖典となり得るのかもしれない」という想いも、実は抱いていたりしました。格ゲーにおいて立身伝の人の書く物ですから、それが凄まじい力を持っているのではないか、という予測も、眉唾を大量に付けた理由の一つに上げられる程です。その点についてはある意味で正しく、ある意味では間違っていました。
 正しいと思った点では、まさしく立身伝上の人が書いた本という側面から生まれる、ビシビシ決まる美意識、感じ方、考え方が、あまりに気高く見えた事が上げられます。その辺のド三一が言ってたら鼻で笑う内容でも、実際にそういう経験の上で強く、そして勝ち続けているウメハラが言うとなれば話は全く違ってきます。その意味では、聖典と言える側面は確実に持ち合わせている。そう思いました。
 では、間違っていると思った点は何か。それは、とうとうと人の、格ゲーマーの道を説くという物ではない、という事です。先にウメハラ半生記と書きましたが、それゆえに、それは絶対に違うという方向はほぼありません。それでは勝ち続けられない。と言うだけで、勝つならその手も在るというのを認める場面もあります。ある意味、自分の事を、それから分かった自分の勝ち続ける力というのを語るが為に、他を無駄にこき下ろすのが無駄だ、と言わんばかりの様相を呈しています。そこにあるのは人の道、格ゲーマーの道ではなく、ただ俺が勝って来た、勝ち続けてきた理由と思われる事、その術だけなのです。それら意味で、聖典というより、自伝という方が結局収まりがいい、という判断になったのです。
 そんなわけで、ウメハラの自伝から、何を導き出すかは、読み手次第。そういう本であったなあ、と締めくくりたいと思います。