感想 九井諒子 『ダンジョン飯』2巻

 大体の内容「潜るぞダンジョンー、食べるぞモンスター」。今回の内容もダンジョン潜ってモンスター食べるぞ! な『ダンジョン飯』なのですが、3層はトリッキー且つ食いでの無いモンスターが多く、どうなるのやら、と変なわくわく感があったりするのでした。そんな中でも何か食うことに対して貪欲なセンシの姿勢は素直に好感が持てたと思ったらすぐ次の回で覆る辺りがこの漫画の面持ちであるなあ、とか思う、『ダンジョン飯』2巻なのです。
 先に書いたように、今回は第三層が主。その第三層は、ゴーレムや死霊や生きる絵画、宝石の姿を真似て襲いかかる宝虫などの、食うの? というモンスターばかり。それでも食っていくことが出来る! 出来るのだ! というこの漫画の生き様はとんでもないものがあります。本当に、モンスターを食う! というのにやれそうだな、という簡単なのからどうやっても食えないようなのもちゃんと出して、その思考を練磨する立ち振る舞いには素直に脱帽ですよ。全く楽してないです。
 その思考の練磨具合が分かるのは色々ありますが、長くなるので二つに絞ります。
 その一つ目が、ゴーレムの扱い方。ゴーレムが土塊人形、という部分に着目したセンシが、その体に野菜を植えるという無茶とも言える方法をとっております。


ゴーレムの上です。念の為。

 しかし、その発想の出方はともかく、第三層では数は少ないけど強いモンスターであり、植物を植えると根を張りかたくなってより強くなるというのも相まって、ダンジョン内の生態系の維持に貢献している、という話も出てきて、やはり一筋縄ではいかない漫画であります。昔は10体居たのだが、というセンシの言葉はその残ったのをこき扱っているという事実も踏まえると納得いくようないかないような微妙な線を渡ってますが、でもダンジョンを生活の拠点とし、畑だと言うセンシの話らしくもあり、とても楽しめました。


スケールが大きいのか小さいのか、ではありますが。

 さておき。もう一つ目は生きる絵画の話。食べられるモンスターが少ない三層で、そうだ、生きる絵画の中の物なら中に入れば食べられるんじゃないか!? というライオスのとち狂った発想の下、ライオスが命綱つけて試してみる回です。


お前は何を言ってるんだ?

 生きる絵画の中に入って食べられたかについては、その発想はあったけどなかった。というオチ具合が素晴らしいです。ですよねー! って感じが。というか、絵の中は実際に世界が構築されている、というのが面白いですし、その絵の内容がこのダンジョンの成り立ちに関連しているっぽいのも面白いです。過去の話を魔法で閉じ込めたのか? あるいは繋がっているのか? そしてこの辺がちゃんと解答される日はくるのか? あるいはそういうのあったね! で終わるのかですが、九井せんせだと何かありそうですね。


この人も謎いですし。

 さておき。
 今回の巻内で、宿敵レッドドラゴンの位置が判明しております。かなり下の方に行かないといけないということではなく、わりと近くに来ている模様。ただ、どうしてそんなに階層を上がったのか、そもそも何故移動しているのかは不明なので、その辺が今後の対決においてキーになってくると思われます。モンスター食のネタが切れる前に、という風になるのか、まだまだ出るわ! フゥーハハハハ! と九井せんせが高笑いするのか。そういう線引きにも見えますので、もうちょっと見ていたい漫画ではあるのですが、それでもネタ切れする前くらいに畳まれたらいいなあ、とか勝手なことを考えてみたり。
 それにしても、マルシルはまだちょっと忌避があるけど、あまり文句を言わずに食べるようになってますね。嫌そうなのは嫌そうだけど、最初のやだー! レベルじゃない。ゴーレム地の野菜とか宝虫もなんのかんの嫌そうだったけど一応ポリポリ食ってたし。慣れたんでしょうか。慣れたんでしょうねえ。今後もどんどん慣れていくんだろうなあ。とはいえ、今後これ食えるの? というか倫理的にどうなの? ってのを食わないとなタイミングもあるのかも。そこでどうなるかですヨネ。


マルシルさんの嫌そう食いと、やっぱりちゃっかり食うチルチャック

 とかなんとか。