感想 あらゐけいいち 『日常』10巻


あらゐけいいち『日常』(10) (カドカワコミックス・エース)
(画像のリンクが物理書籍のページ、文章のリンクがkindle版のページ)

 大体の内容「さらば愛しき、その日常」。日常が終わるとはどういうことか。それはあの日々が終わるということ。
 ということで、『日常』も最終巻となりました。どうしようとも続けられそうな、そんな『日常』の日常。それが終わるのですよ。でも、その終わりへの道程は生半ではありません。あるいは、ネタ切れという言葉すら出てくる所であり、実際その通りな場面も散見されて、限界だったか。という感覚を得てしまうのは仕方のないことです。でも、それでも『日常』は僕らの日常でした。最後までパワフルモンスターとしての側面を維持し続けたその様には最敬礼を惜しまない俺でありたいです。
 というポエムはさておき。『日常』とはなんだったのか会議がここで招集されるのは理の当然であります。それは誰の日常だったんか。あるいはどこの日常だったのか。そういう謎を解き明かすには、最終回までのスタイルこそが一番有効な手管でありましょう。
 と書いておいて、そのスタイルの散発感に混乱をきたします。特にNコマ漫画モードはネタ切れの苦肉の策にしか見えないわけで、そこからどうこの漫画のらしさというかスタイルを見抜けるというのか、というそしてこの諦念……。も発動します。でも、余計に見える物があるにはあります。それが不可思議ではなく、でもベタではない、それでいておかしいとしかいえない亜空のわんぱくさ。言葉のノリと絵の勢いと色んな変があるそこはかとないおかしさ。それらが噛み合って『日常』らしい日常を組み立てていたという風に、最終回までの流れをみて思ったりしました。
 なのですが、最終回のノリはなんだかこの漫画が終わる流れに対してしっかりと解答をしてきた、という風にも見えます。タイムカプセルに入れる手紙を書く、というのでこの漫画の集大成をここで、という形に持っていきます。その前の回の言葉と絵のマリアージュ(パワフル方向)でほとんどNHK教育めいたものだったのが、このしっとりとしつつでも『日常』展開なので混乱します。が、最後で予定調和ながらのパワで落とす様はやはり『日常』でありました。ゆっこ色々どうしちゃったんだよ! というのが気になって最終回のオチが脳に入ってきませんでしたが。でも、ここへと向かっていくにはピース足りなかったのを無理にでもピース入れてきたという蛮勇は評価したいという上から目線です。色々あったゆっこの、色々を一つの状態で全部解決してみせたのはマジで流石のセンスですよ。これがもうちょっと持って行っていただきたいとすら思ったりするレベルです。
 さておき。
 最終巻の中で一番好きな回はやっぱり日常の191。なんだこの状況という中からの絵と言葉のマリアージュ(パワフル方向)具合は、漫画だから出来るテクであり、だからこそ一番を与えたいのです。最終回手前でこういうネタしているのがまたとんでもない。まとめる方向に行く漫画でもないのでそれ自体は当然とも見えますが、でも終わるってこの段階では確定的にあきらかになってたはずであり、それをでもこの方向に持っていくことで全く気取られぬようにしていたのは、なんか昔の武将の影武者の扱いみたいな、というよく分からん喩えが出てしまうくらいの胆力を感じるのです。そして迎える最終回。全くの不意打ちからの最後の色々なんだこれ!? ある意味誌面で見ていた人は楽しかっただろうなあ、という感想が漏れます。でも、単行本でもあれ、どこで最終回? ってなって中々怖かったです、よ! そう言う意味でも、露払いとしての日常の191は力強いと感じました。そう言う意味では『日常』のパワの最終段階であった、と言っていいでしょう。あらゐけいいち先生はまたこういうパワを見せたりする漫画を描いてくれるのかしら。
 とかなんとか。