感想 三家本礼 『血まみれスケバンチェーンソー』11巻


三家本礼 血まみれスケバンチェーンソー 11<血まみれスケバンチェーンソー> (ビームコミックス)
(画像のリンクが物理書籍のページ、文章のリンクがkindle版のページ)

 大体の内容「風雲急を告げるプリズン編!」。でたよ! 三家本マジックが! ということで、プリズン編なんてちんたらやってられねえんだよ! モブと戦わせて何が楽しいんだよ! ネームドがいるならそっからだろが! わかんねーやつはクソして寝ろ! という三家本先生の猛りがびんびんに感じられるのが、『血まみれスケバンチェーンソー』11巻なのです。
 ネロ残党にギー子をぶちこみ、更にネロによって改造されたナチ残党の三人をぶちこみ、ギー子狩りだ! というのが10巻の大体のないような訳ですが、そこからこの巻の最後は魔法重力少女に対して仙崎部長があれを着てやってきた! ヤァ! ヤァ! ヤァ! というので何が起きているのか誇示的にも良く分かっていません。いや、分かってはいます。仙崎部長が出て来ないとチェーンソーが持てない=ギー子のこの漫画におけるアイデンティティがない、なんで、仙崎部長がでてくるのは予想の範囲内でありました。しかし、その登場の仕方が問題がありまして、なんか水島さんの霊が見えてるー!? という状況なのです。どちらかと言うと妄想の類なよう、周りの触り方がそういう方向、なので、ヤバくなってしまったというのが正しいのでしょうが、この漫画一番の理性派がここで崩れて、その上であの姿でエントリーだ! な訳ですよ。
 え、そこより問題がないかって? そこに気づきますヨネ。そうです、魔法重力少女ですよ。本人はナチ残党、重力を操るのはネロの科学力、なので実際には科学重力婆なんですが、バキバキに、そうバキバキに魔法少女姿なので、便宜上魔法重力少女と言ってみました。で、魔法重力少女ですが、これがそのアレな姿とその後の行動と表情のアンビバレンツ具合がもう訳がわかりません。あまりにアレな魔法少女姿であるのに、ちょっとのことで泣いてしまうとか、メンタルが強いのか弱いのかも分かりません。そのくせ重力操作の力は無茶苦茶で、これに弱点はあるのか? というレベル。とりあえず物理的には不意を打たないとダメージ入れられないレベルです。こんな無茶ぶっこんできて、どうするんだよー!? の所で仙崎部長ちょっとマッド化ですよ。マジでこれどうなるのか訳がわかりません。三家本先生は恐ろしいお人じゃあ!
 さておき。
 もうちょっとストーリーラインの話をしておく必要があります。そもそもどうやって仙崎部長と再会する形になったか、という部分を語っていませんからね。これは結構単純です。狩りの時間を活用して、囚人たちも脱走するという流れです。一堂に会すがゆえに、隙をついて逃げるには確かにもってこい。なんですが、それは同時にナチ残党にギ―子に手を出すのを許す形でもある、というので一気に話が突き進み、残党VSになる訳です。この流れは素晴らしく強引で、だから納得出来るものです。ちんたらやってられねえんだよ! という三家本先生の猛りが目に見えるようですし、実際そんな人間狩りの部分をちんたらされても困るっちゃ困る訳で、本当に三家本先生はやり手であるなあ、こういう強引な力を使うのに妙に納得させられる力があるなあ、と感じるのでした。『サタニスター』も半ば強引な終わり方だったけど、納得いく形だったし、本当にこういう仕手が得意というか特異なんだなあ、とかなんとか。