感想 珈琲 『のぼる小寺さん』3巻


珈琲 のぼる小寺さん(3)
(画像のリンクが物理書籍のページ、文章のリンクがkindle版のページ)

 大体の内容「のぼるのぼるのぼるよ小寺さん」。頑張る小寺さんをみて、皆が感化されていく。それが『のぼる小寺さん』なのですが、それが更なる進展に向かっていく。そういう側面もあるのが、この『のぼる小寺さん』3巻なのです。
 とはいえ、基本の部分はいつものと言っていい小寺さん頑張る漫画です。今回も、小寺さんはひたむきです。ボルタリングの同好の士と山へボルタリングに、という回での、岩登りしようとしたら穴が削られていて簡単になっていた、というので、その難度をやってみたかった、と悔し泣きするくらいひたむきです。
 この漫画に接していない方にはそんなにか? と思うところでしょうが、小寺さんのひたむきさを知っていると、そうか、悔しいんだな。と、すっと理解できるんですよ。それだけ、小寺さんのひたむきさには読者を引っ張る力すらあるのです。
 さておき。
 実は今回はちょっと小寺さんへの焦点がずれ気味だったりします。それは近藤君と四条君への焦点があったりするからです。この二人の視点に近しくして小寺さんを見る、というのもこの漫画の一つの見方ですが、その両者がちょっと目立つんですよ。四条君は髪切った? になったり、近藤君は小寺さんと直で話をしたり。お前ら目立つんかい! という突っ込みが出るところですが、不思議とおかしいとは思わないのが不思議です(重複)。どちらも小寺さん起点の変化だから、というのが強いでしょう。
 四条君は髪切る要因である悔しさの源泉はボルタリングで、それは小寺さん経由でしたし、近藤君が小寺さんに声をかけるのも、ずっと見ていたからでもあります。そういう意味では、小寺さんはこのお話の最中央にある、と言えるでしょう。その部分がまったくなおざりにならないので、偶に振れても小寺さんの話に収れんするんだなあ、とかなんとか。
 しかし、四条君も近藤君も青春です。四条君はボルタリングの方に傾倒していっているし、近藤君は小寺さんのことが気になり過ぎているし。でも、二人とも小寺さんのうちこむ姿に影響されて、自分も打ち込んでいる内に、周りとの関係性が変化してきていて、そういう分かり易い変化って、そうそう無いけど、だからこそ自分の変化が感じられるんだろうなあ、とかも思ったりします。こういうのもまた、青春やね。
 さておき。
 ちょっと自分がいいなあ、萌えるなあ、という気持ちが発露した辺りの話でもしましょうか。
 今回、小寺さんが2巻であった大会でいい位置までいけたけど、だったからなのか、とにかく心機一転髪を切っちゃってるんですね。それもそれで可愛いんですが、その髪が少し伸びてきた、その処理がとてつもなくビンゴ! なんですよ。
 これをご覧ください。

 もう、この頭の二つのコションめいたまとめ方が素晴らしいんですよ。この、ちょこんと乗った感じとか、その控えめな大きさとか。まだ伸びるに伸びてはいないけど、でもショートには長い。というのでまとめていると勝手に思っているんですが、それがとてもいい。大変マッチしている。髪長いってスポーツする人のイメージじゃないけど、このまとめ方なら! ということで荘厳回転360級ですよ。素晴らしい!ハッピーバースデー!
 とかなんとか。