感想 珈琲 『のぼる小寺さん』1巻

のぼる小寺さん(1) (アフタヌーンKC)

のぼる小寺さん(1) (アフタヌーンKC)

 大体の内容「のぼる小寺さん」。『のぼる小寺さん』とはのぼる小寺さんなのです。
 という意味不可思議な説明では納得がいかない方もいらっしゃるだろう事を想定して、ここで少し詳しい所を話します。『のぼる小寺さん』とは、クライミング部の高校一年生小寺さん(女の子)が、ひたすらボルタリングをしたり、ひたすらボルタリングしたり、ひたすら運動したり、ひたすら食べたりする漫画です。そう言う意味では帯の「登っているのを見てるだけ!」は名句でありましょう。小寺さんのひたむきさをただ見守る漫画、そう言ってしまえば安定するのが『のぼる小寺さん』なのです。
 小寺さんはひたむきです。雑念が無いと言うべきでしょうか。登ることに対して真っ向から行き、忽せにせず、愚直に向かい合っています。その様を見て、周りの人が感化されたりする。高校生なら、そういう感化はよくあることです。持続するしないは別にしても、感化が起きること自体は素晴らしい事でありましょう。そう言う意味で小寺さんのひたむきさは、他の人にいい影響を与えているのです。
 それにしても、小寺さんに対する視線が色々入り組みだしているのが、この漫画の面白い所として立ち上がります。小寺さんに感化された人が、小寺さんに注目する、という風な訳ですが、それが最初は卓球部の近藤、それから小寺さんに告って振られたのに流れでクライミング部に入ることになる四条が加わり、小寺さんを見る視座の遠近感が変わってきます。近藤がずっと出なくなるのか、あるいは四条の方がいなくなるのかは連載も追ってないので全く不明ですが、この視点が互い違いになるようになれば、小寺さんを見る目がまた変わる訳で、そうなれば小寺さんの良さというのがまた違う見方によって立ちあがってくることになる訳ですよ。そういうテクニカルな漫画としていくのか、でもそうするとネタは大丈夫なのか。そういう不安も上がりますが、ここは珈琲せんせの力を勝手に信じてみたいと思うのであります。
 さておき。
 小寺さん可愛いですヨネ。とさらっとキャラクター話に突入します。小柄で金髪の美少女、というだけでその筋にはエレクトリカルパレード状態になる案件ですが、更にその魅力がボルタリングをしている真剣さによって倍化され、小寺さん、尊い……。という気持ちにまで引き上げてくれます。基本的に小寺さんの魅力だけで押す漫画なので、その方針、イエスだね! という言葉がすらりと口を吐きます。特に部活の面々とラーメン大盛りを食べる回の凄く大食いに見える食いっぷりなのに全然減ってない辺りがとても小動物めいて素晴らしいと感じました。美味しそうに食ってるんだけど、大丈夫なのか。そういうハラハラ感があったり。それに小寺さん、色々無防備だよなあ、ってとこもあって、それが高校生くらいだと刺激強いんだよなあ、というのも思い起こしてみたりします。あんな可愛い女の子居たら部活内でギスギスしそうでもありますが。罪な女やで、小寺さん。とか思う日が来るのか。じっくり見ていきたい所です。