感想 つくみず 『少女終末旅行』4巻


つくみず 少女終末旅行 4巻
(画像のリンクが物理書籍のページ、文章のリンクがkindle版のページ)

 大体の内容「じわじわと分かってくる、滅びの真相」。と言っても、具体的な事態については全くでありまして、そりゃ二人で旅行みたいな状況で世界の謎がポンポン分かるかよ! という気持ちにもなる、そんな『少女終末旅行』4巻なのです。
 とはいえ、今回は結構重大なポイントに差し掛かりました、謎の生命体(としか言いようがない)によって、この舞台の星の命脈は尽きた、とされるのです。それを大きくも小さくもなく、ただ訳も分からず受け入れる、チトさんとユーリさん。果たして、この二人の旅の終着点はどこになるのか。というかデッドエンド以外考えられない感じですが、それでもその方が綺麗に終わりそうな気がする。というアンビバレンツな気持ちにさせられます。
 滅び、消えていく人類とその遺産。というのは、なんとも物悲しくしかし妙な美しさがありマス。前にも書いたと思いますが、隆慶一郎の『一夢庵風流記』、原哲夫画による『花の慶次』の原作ですが、それにあった言葉で言えば、「滅びたものは美しい。滅び去るものは無残でしょう」というのがしっくりきます。今まさに崩壊していた時代を過ぎ、もうただただ滅んでいるその姿は一種の美意識すら感じさせます。チトさんとユーリさんが道中で見た、動かなくなった大型の機械人形のただ並ぶ姿の凄然とした美しさ。人のいないビルの天井と、その上の天井の合間から見える赤い太陽の輝きの切ないほどの美しさ。これこそ、滅んだものは美しい、でしょう。滅び去る無残さもあっただろうけど、そこに残ったものは詫びてすらいて、物悲しいけれど、だからこそ輝いてすらいる。そんな滅びの美というのが、この漫画の良い所だなあ、と思います。
 あと、滅びているってぞくぞくしますよね。美しいからこそかもしれませんが、妙にぞわりとする感触を肌で感じずにはいられません。これはなんだろうか、と考えてみますと、あれですね、廃工場とか錆びた配管や朽ちかけた階段とかに感じる、何とも言えない退廃的なアトモスフィア。滅びという、普通では見られないし求めてはいけないものがそこにあるという、本能的な忌避する心と、でも見たい、というこれも本能的な好奇を持つ心。これがない交ぜになって、ぞわりと立ち上がってくるのではないかと思います。
 そして、それは、滅びは実際には見ることは叶わない。そうなったらたぶん真っ先に死ぬでしょうから、滅び去るを越えた後はまずみられない。だからこそ、この漫画の滅びた空間、世界、星というのが、堪らなく琴線をかき乱すのではないかと思います。基本的にゆったりだからこそ、余計にその滅びの感覚が目につけさせられて、いいなあ、と思うのではないか。
 そんな戯言を言って、この項を閉じたいと思います。