感想 つくみず 『少女終末旅行』1〜3巻


[まとめ買い]  つくみず 少女終末旅行
(画像のリンクが物理書籍のページ、文章のリンクがkindle版のページ)

 大体の内容「滅びた世界を、少女二人は旅する」。隆慶一郎一夢庵風流記』の一節において、こんな言葉があります。

「滅びたものは美しい。滅び去るものは無残でしょう」

 若干記憶があいまいですが、こういう言い筋だったかと思います。つまり、滅びて時が経ったものは美として立ち上がるが、現在滅び行くものはただただ無残である。そういう内容です。
 そう言う意味において、この漫画のチトさんとユーリさんの道行は、滅びの美しさと、滅びさる無残さが奇妙に交錯した、そんな地点にあるのではないか。という、ほぼ滅びが決まっている世界を、あてどなく旅していく漫画。それが『少女終末旅行』なのです。
 この漫画の面白い所は、チトさんとユーリさんの旅に目的がどうも良く見えないという点でしょう。そもそもの旅の動機を、単行本を3巻重ねてもまだ語られていないのも原因ですけれど、どうやら目的の場所、というのが無い模様なのもそれに拍車をかけます。どうにも、行ける所まで行ってみる、という程度しか目的が無いように見えるのです。実際、メルクマールになるような施設とかがある訳でもないようですし、そもそも地図も残っていないような状況下なので、目的地設定出来るわけがないといえばそうなんですよ。だからなのか、このチトさんとユーリさんの旅路、というのは二人はわりとのんきな雰囲気。作中の雰囲気もそれ程切迫して見えないんです。でも一歩間違うと頓死がやってくるのでは? というわりとギリギリの旅だったりする、んだけどでも妙に牧歌的。なんだこれ、と思いましたらば、主原因は特に敵対する相手がいない、あるとすれば飢えと渇きだけ、というのが、滅びかけているがゆえにむしろ緊張感がないというこの作品の味わいとして立ち上がっているように思います。
 先に頓死が、と書きましたが、実際チトさんとユーリさんの道行は実際綱渡りですよ、実際。と三回も実際と書いてしまうくらい、実際ギリギリです。途中で食糧とかドイツ製らしい変な乗り物ケッテンクラートの燃料とか補給できなかったら、そこでアウト。それ以外でも1巻でも旅の地図書きカナザワに出会わければ、深く長い側溝の前で立ち往生したままエンド、ということにもなりかねなかったんで、本当に綱渡りな訳ですよ。それでも旅を続けるには、それなりの理由がありそうなんですが、それも語られない。なので、こちらから出ている情報から推測しつつ、この旅を見続けるのですけれど、でも本当に、のんびりとしつつもハラハラとするという変な立ち振る舞いの漫画です。ある種究極の旅、というのはこういうものなのかなあ、という気持ちにすらなります。サバイバル、というには穏当ですが、でも只の二人旅、というには重苦しい。そんな微妙なあわいの中に、この漫画はあります。
 さておき。
 この漫画世界の滅びはどうしてなったか、というのもやはり明らかにはされません。チトさんとユーリさんの旅している辺りが日本語圏である、というのは分かる場面があります。でも日本語圏だけが滅びているようでもなく、そもそもどこまで日本語圏が広がったかもわからない。そして、どうやら変わった信仰もあった名残があったり、自律した機械が存在したり、墓みたいな場所に物を納めていたりするけれど、やはり滅びについて何か分かることは無い。一体何が起きて、人は滅びて行ったのか。そこも特に解明されることはなさそうです。むしろそういう手触りだからいい、という漫画でもありますし。でも、相当の科学力があった、自律した機械があったりするくらいだし、というのに、何が起きたのか。やっぱり教えてもらいたいなあ。でも、仄めかす程度だろうなあ。そういう所作が好きではあるからなあ。
 さておき。
 そんな滅びの世界を前にして、チトさんとユーリさんは結構逞しいです。わんぱくでもいい。健やかに育ってほしい。というン願いのもとにあるのか分かりませんが、どっちも案外バイタリティがあります。無ければそのまま枯れるように死んでしまうような世界ですから、そりゃバイタリティが必要です。でも流れてきた魚を食べてみたりする辺りの旺盛な部分は素直に賞賛してしまいたい所です。単に魚が流れてくれば食べるだろ、ってことじゃないんですよ。魚の存在自体知らないのに食べようと、というバイタリティが凄いんですよ。自分にそこまでの物があるかなあ、と思うと、余計に羨望すら覚えます。そういう所があるから、危うい旅なのに奇妙にのんきに見えるのかもしれません。うーん、この感じ大好き。
 とかなんとか。