感想 とよ田みのる 『金剛寺さんは面倒臭い』1巻


金剛寺さんは面倒臭い(1) (ゲッサン少年サンデーコミックス)
(画像のリンクが物理書籍のページ、文章のリンクがkindle版のページ)

大体の内容「この恋、何かが違う!」。
ある日、ふとしたきっかけで樺山君(鬼)は金剛寺さん(人間)に巡り会いました。そして樺山君は金剛寺さんに恋をします。そういう話なんですよ。そういう話なんですよ! と二度記載して注記としないといけないくらい、一種異様な雰囲気を持ち、しかしまごうことなきラブコメ。それが『金剛寺さんは面倒臭い』なのです。
基本ネタバレということばでデバフかかる漫画ではないので、ネタバレなのに格納無しでつらつらと語りますが、この漫画を一言で表すと、ヤバい、しかありません。根本的にはとよ田みのる先生の持ち味であるちょっとズレがあるけど心地よい恋愛関係の、1巻は端緒が語られるという形ですが、しかしそれだけなら<一種異様な雰囲気>なんて言葉を使う必要がないのは、諸賢にはすぐにお分かりになられると思います。
では何が異様なのか、というと樺山君と金剛寺さんとはその瞬間に居た以外の関係性が全くない、そんなあれやこれやに突如クローズアップが向くことです。基本は二人のラブコメなんですが、折に触れて違う筋が紛れ込んできて、それがまた自分が主役だと言わんばかりの濃さをもっているのです。それでいくのか? と思ったらやっぱり上手いラブコメにすとーんと戻る。この緩急がまさしく異様なのです。
特に顕著なのが第2話と第5話。
前者が、樺山君と金剛寺さんが固く握手を交わす、というだけの前振りからその瞬間にいたものたちにクローズアップして、そして握手! からのその場にいた全員に幸があった! と言い切るナレーションの力強さが印象的過ぎてラブコメ部分でないところなのに、全く本筋と関係ないところなのにそっちも印象にやたら残るという謎仕様をぶちかましてきます。このナレーション力、イン殺さんの言葉を借りるならマッドアナウンサーのそれでありまして、まさしくその断言調が決まりに決まった仕様となっております。つか、本当にあのナレーションの力強さはかなりのもので、山口貴由シグルイ』のメキメキに決まったナレーションを思い出さずにはいられません。ツイッターで見かけた「とよ田みのるの中の山口貴由」という素敵ワードが全く過大表現ではなかったのを確認させられるパワーがありました。
後者は樺山君と金剛寺さんがイチャイチャしているレストランに銀行強盗がエントリーだ! と思ったらそこは古強者が各々の事情で集う場所になっていた! というある種よくあるパターンのそれですが、ここでもナレーションがキレッキレで、このナレーションによってキャラ立ちを瞬時に建立されるという亜空の展開を見せつけられます。これでそのキャラ達の話が無駄に長くなるかというとそういうことは全く無く、またしてもナレーションによってまさしく切れのよい終わり方をしています。なんだこれ。それでいてちゃんとラブコメとしても成立しております。きっちりラブコメなのです。話が脇に逸れるだけで。でも、これ脇道が無かったら? とも。それはそれでいけるのがとよ田みのる先生の力だとは思うんですが、そこをあえてしないでこういう方向性にぶち込んできたメンタルがちょっと常軌を逸しているといえる状態です。なんですか、とよ田みのる先生、これを描ききってタヒぬんですか? やめてください! もっとあなたの漫画を見ていたい!
という冗談を一つついて、この項を閉じたいと思います。