シリーズについて、思いつき雑感

こちらをぼんやーり見ていたのですけれども、ちょっと思いついたので書いてみましょうか。いろいろとかぶる部分が多いかもしれませんけれども。
え〜と。
私としては、なんか世の中とちょっとずれた方に考えてしまうのですけれども、
まず、ライトノベルにおいてシリーズ化するのは基本です。とくに最近はこの傾向が強くなってるんで、こういう話しが出てきたんだと思いますけど、特異な事ではない。
え〜、スニーカー初期作品とかコバルト文庫とかを引き合いに出せば分かりやすいですし、時代小説とか中国の武侠小説なんかをみればシリーズ物なんて大量に存在します。最近だとハリーポッター*1もシリーズ物です。
つまり、これら通俗小説というものにとってシリーズ化なんてのは当たり前なのです。これに低年齢層向けの通俗小説としてのライトノベルも習っているわけですね。
で、シリーズ率が高いのはどこのレーベルでも同じです。
上記のリンクで例に挙がっている電撃文庫のシリーズ率が高くなってきたのは、実際の所ここ数年の事。
大賞でいうと第七期から第八期にかけてでありますが、それ以前もシリーズ率はそこそこ高かったのです。
では、なぜ最近高くなったかというとこれは単純に定着率の向上とこの時期に多作傾向の人が多い事が要因の一つとしてあります。意外に多作な「佐藤ケイ」と「甲田学人」が第七、アホみたいに多作な「うえお久光」が第八期にあたりますね。実際にこの三人で約三年で三十冊*2になるんですよ、本の数が。*3
え〜と次、新人賞のシリーズ化は電撃文庫の場合は編集部の意図に相違ありません。というかですね大賞一回目以降、今日までずっとやってます。(ソース:【雑誌の住人】さん電撃文庫リスト1994年10月以降参照のこと)
ソースを見ていただくと分かりますね。第一回の大賞である「土門弘幸」の「五霊闘士オーキ伝」と「中里融司」の「冒険商人アムフェイ」がシリーズ化しております。*4その後も、本として出た場合は大体がシリーズ化しています。
初めの頃はこの手法は主流ではなかったのです。その頃の賞を取った新人でそのままシリーズ化したのは、「神坂一」の「スレイヤーズ!」位だったですし。
しかし、ここ最近では新人にすぐにシリーズを書かせるのが主流になりました。角川スニーカーが「ラグナレク」あたりから、富士見ファンタジアも「どかどかどかん」以降この手法に切り替わっていますし、電撃以降のライトノベルの賞はほぼシリーズ化するようになっています。
さて。
ここまで考えて、
「何故に、最近は新人にシリーズをすぐに書かせるのか?」
という謎が私の中にうかんできました。
正解かどうかは知りませんが、いくつか要因は考えつきます。
 
一つ、売れるかどうかの確認。
商売ですから、ある程度売り上げが見込めない事には話しになりません。
一つ、短期間に名前を出す事によって著者の名前を売る。
ちょっと前の直木賞の辺りを見ると分かるのですが、ああいう話題がないと一回賞を取ったぐらいでは名前を覚えてもらえないのが、昨今の小説賞事情なのです。ゆえにとにかくどんどん出すという戦略にでているのです。この辺はちょっとかぶってますね。
一つ、シリーズ化することで、読者に続きが読めると言う安心感を与える。
ちょっと前までは、賞で大賞を取っても生き残れ無い人がぼこぼこいましたよね。昔の富士見ファンタジアがいい例です。*5最近でもファミ通文庫のような例もありますが。
そういう「大賞一発屋」の本っていうのは、新人読みをする人以外は買うものではないのです。つまりあんまり売れるものではない。
その辺を打開する為の案として出てきた部分があるんじゃないか、とおもう。
一つ、シリーズ化することで、賞の応募者に書いていけるという安心感を与える。
あえて言い切りますが、賞をとっても食っていかれないような所に、人が集まるようなことは無い。人が集まらないという事はそのまま優秀な人がこないという事。優秀な人を集める為にそこで生きていける事をアピールする必要が賞の主催者にはあるわけで。
一つ、書かせる事で技量を向上させる
習うより慣れよ、の法則ですね。この辺は「うえお久光」とかをみるとなんとなく実感できると思います。
 
他にもありそうですが、まあこの辺が中心でしょうか。
メリットがあるゆえに新人にすぐ書かせる手法を取るようになったと考えられますね。
で、こうやって最初からシリーズ化をさせる為に、
「人気が有るからシリーズ化」
という見方できなくなっているので、その代わりとして、
「人気が有るから分冊化」
という風潮に最近なってきているんでしょうね。*6
イラストの増量のために分冊する
=それをする事が可能なくらいには売れている
という風に見る事が可能ですし。
また、一つの分量を二つにする事で作者にとっての小休止期間みたいな使い方としている、とも考えられますね。
しかし、この考えで行くと「川上稔」の分冊が説明できません。
違う視点が必要ですね。
そういうわけで、ちょっと「川上稔」の人の著書の発売履歴を調べるとですね*7、3作目以降の発売が素晴らしくコンスタントなんですよ。ファンなのに調べるまで気が付きませんでしたよ。
上下の分冊は基本的にある程度まとめたのを二冊にして一月ごとに。
全五冊だった「新伯林」は四ヵ月毎に、それぞれ出てますね。「巴里」と「新伯林」そして「DT」の間も4〜5ヶ月ですね。
しかも、この時期に電撃hpで「S・F」とそれからちょっと経ってから「TOKYO」の連載が始まってますね。*8なんつー仕事量だよ。
この辺が「川上稔」の人の分冊の謎を解く鍵なような。
あー、つまり。
川上稔の人は、こういう風に仕事しますって「香港」あたりであらかじめ言っていて、それをその通りに実行しているんじゃなかろうかと。
ゆえに、ああいう形が認められているのではないか、と推測します、ハイパーン!(机を叩く音)
元から企画書をきっちり書く人のようでもありますし*9、考えられない話しでもない、無いはずだ。(←ちょっと弱気)
でもこれって、なんかどっかで川上稔本人が言ってたような気がする…。(←ますます弱気)
ま、まあとにかく。
川上稔の人が他の人と分冊の仕方が違うのは、本人でその辺をきちんと考えているから、という事に帰結するわけです。
以上、証明終了。
雑感だったのが興に乗ったせいで、とんだ長文になってしまいますたね。*10
読みきった人、ご苦労様でした。
そしてお疲れ様、自分。

*1:ハリィポタァって書きそうだった

*2:現在の時点で佐藤ケイ10冊、甲田学人10冊、うえお久光11冊

*3:内、うえお久光登場からの二年で出たのが22冊、多いなぁおい

*4:アムフェイは二冊で終了でしたが

*5:こちら参照

*6:分冊自体は「高畑京一郎」の「タイム・リープ」の頃からやってますけどもね

*7:こちら。自力でまとめたものに変更

*8:ここの電撃hpのアーカイブ参照のこと。「S・F」が6号、「TOKYO」が10号です

*9:ホームページ参照のこと

*10:ちなみに所要時間は三時間位でした