「バッカーノ! 1933」読み終わって

ふふっ。 小躍りしたい気分だよ。
私的大方の予想通り、危うく中巻できるとこだったようですね。 「終わりのクロニクル」級に太い…。 詳しい感想はまたこっそりと。
この後は「タマラセ」(ISBN:4044707014)に突貫します。 その後、「食前絶後」に突貫します。 “なまさたう”た所で「スクラップド・プリンセス」を完結まで読みきります。 もしかすると“なまさたう”るのはその後かもしれません。 いきなり関係ない話ですが「食前絶後」の頃には今ではありふれた「何日後 どこどこ だれだれが」のごとき書き方は特殊であったようで、断り書きがありました。 時代を感じます。 十年一昔。
話変わって。
しかし、スレイヤーズ評論は難しいよなあ。 ある種のライトノベル総論にすらなりえるネタだからなあ。
総論となると個人史的流れでいうと星新一のいた時代、角川スニーカー文庫の勃興、同じ時期にブレイクしていた「ロードス島戦記」と「ぼのぼの」、ソードワールド蓬莱学園の時代、そこから年齢上がっての「銀河英雄伝説」、「魔術師オーフェンはぐれ旅」の発見、更に下って「榊一郎」と「賀東招二」の二強時代、電撃文庫の隆盛、で今ってな感じかなや? そういえばブギーポップは乗れなかったなあ、私。 電撃と接続できたのは「都市シリーズ」→「悪魔のミカタ」→「バッカーノ!」って流れからだから、同時代の読み手としては異端なのか?
だけどそれ以上に個人的に気になるのは、「スレイヤーズ」と同時期の作家もあまり語られていないことだ。 先の水野良とか、同じ賞出身の川崎康宏とか冴木忍、中村ウサギあたりにちょっと下って友野詳までそうだけど、この辺もあんまり語られないなーと。 というより“論”という形を得られるようになったのは「ブギーポップ」辺りからなような? 根本的に“論”を求めだす年齢の問題かしらん?
いやしかし、スレイヤーズ“以前”“以後”は確実に存在を感じるのに、肝心の「スレイヤーズ!」という実線が全くあいまいにしてもこもことしていると言うのが実感だなや。 つまるところ「『スレイヤーズ!』の時代」ってどこにあるのだろうか? もしかすると、未だに「『スレイヤーズ!』の時代」なのやもしれんとすら思う。
うむぅ、やはりまことに深遠というか、暗夜な行路だなおい。 これは自人生の最大のテーマ(にした)「“本”と“教養”」に通じてしまうかも知れんなあ。 うああ面倒だ。 だから選んだテーマだけれどもさ。