感想 多根清史 『教養としてのゲーム史』

教養としてのゲーム史 (ちくま新書)

教養としてのゲーム史 (ちくま新書)

 内容を要約すると、「ゲーム黎明期からの想像力と創造力の歩み」。そのまとめと言った雰囲気でしょうか。通史としての所謂テレビゲームの立ち上がりから、それが如何に想像力と創造力を持って進んできたか。そういうお話がこの新書の真骨頂となっております。一画面、この本の言葉からすれば“固定画面”のポンから始まって、そこに縦軸と横軸の“スクロール”の追加によるゲームの広がりとそれを獲得したゲームがどう広がっていったかの概説、そしてもう一つの線としてのプレイヤーの欲望とゲームとが合致したがゆえに生まれたSLGの動きなど、手堅くまとめられてるんでは、ないでしょうか…。(CV稲田徹
 個人的なお話をすると、それはもうゲームには昔から慣れ親しみ、今でもこういう本が出たらもっそりと買ってしまう程度にはゲームオタですので、そこに語られる話に異論、いくらなんでも話の起点が退行しすぎじゃね? 最近の話もしましょうよ! とか当然あったりしますが、しかしこのまとめとしてきっちりとゲームがどう幅を広げていったかを語る口調には舌を巻かされたり、いやちょっと妄想過ぎじゃね? と思わされたり。ゲームの発展の基礎とはなんだったのか、という視点は大変面白いものでありまして、基本、ゲーム爺向けと言えるゲームのラインナップ、だったりするんですが、基礎知識*1として今のゲーマーの方にも知っておいて欲しい話であったり。まあ、これを鵜呑みというのは危険かもしれないんですが、それでもこまごまとした所を詰めて、合間になっているスーファミ位からの話もきっちり埋めていけば、普通に教科書として使えるレベルじゃないかしらこの本。と思わされます。そんな丁寧さと慎重さのある、まさに、基礎知識。そう、知識なくして発展は無いのです!
 さておき。
 更に個人的に良かった点を語ると、今ではゲーム批判の槍玉の一つである“やり直し”や、それだけで批判的な意味合いを持ってしまわれるRPGの“一本道”という物が、まるで否定的な意味では使われていない、むしろそれゆえに今のゲームの発展があった、と言ってしまう点が、この本の良い所だと思います。
 “やり直し”はそれゆえに色んな選択肢が存在しても適度に気を抜いてプレイ出来る。やり直せるから、色々試せる。“一本道”はそれゆえにRPGで迷う事無く進めることが出来る。どちらも、それが無い所に新たな概念として降って沸いた物であり、それゆえに親切度が増し、ゲームはより幅を得る事に、端的に言うと富、層を得る事に成功した、というのは白眉ではないかと思います。
 特に今では“一本道”は否定的な意味合いがあったりしますが、それが生まれる以前は全く道しるべの無い森に放りこまれるものばかりだった。それにゲームの進行を分かりやすくするというエッセンスとして“一本道”というものが導入された、という歴史的背景を知れば、今の“一本道”批判がお里が知れようものです。今の自由を謳うゲームも、実際の所は巧妙に“一本道”を隠しているわけであり、その点を理解しないで自由を言う輩は一度しっかり歴史を勉強すべきだと思いました。
 他にも、如何に売れたゲームが革新があったか、あるいは、売れる要素があったかという話も盛りだくさんなので、ゲームとか、好きだからー! という御仁は買って読めばいいと思います。そして、出来る人には触発されて格ゲーの歴史とか奥行き、3Dという広さとかを思いついて編修して欲しいです。その辺が抜けてんのよね!

*1:あえて教養とは言わないのは、単に個人的な問題意識の問題で他意はない。