感想 ふかさくえみ 『鬼桐さんの洗濯』1巻


鬼桐さんの洗濯【カラーページ増量版】 (1) (バンブーコミックス)
(画像のリンクが物理書籍のページ、文章のリンクがkindle版のページ)

大体の内容「TFS」。T(ちょっと)F(不思議な)S(洗濯屋さん)。それが『鬼桐さんの洗濯』を一言で言い表した場合なのです。大学生の茶子さんがいきなりの居住地の立ち退き要求により、路頭に迷った先で見つけた、住み込み可の洗濯屋さん<洗濯屋鬼桐>。そこは、妖怪や魔王やゾンビや毛の神様など、人ならざる者が来る洗濯屋さんとだったのです! という方が通りはいいでしょうか。とにかくそんな感じに色んな洗濯話を交えつつ、交流が出来ていく漫画なのです。
さておき。
この漫画の良さというのをいきなり切り出しますが、やはりエモーショナルでありつつ、上手く笑いに昇華させている部分でしょうか。笑いの性質としては細かい笑いを丁寧にしてくるタイプなんですが、エモーショナルな部分の侵入路が大変こなれているので、ここが具体的にいい! という場面が大体それ以前の流れからきて、という混み入った、行ってしまえば単発ドカンの笑いではないので大変説明に苦慮してしまいます。笑いどころとエモーショナルどころをいちいち順繰り説明していってたら興ざめですからね! なので大変いいんだけどここがこうだから! というのが難しい一作となっております。
とはいえ、難しいからと手をこまねいていても仕方ありません。一つ序盤からあって、そして回が重なるごとにエモーショナルさが鰻登りになっていく点をつらつらと書いてみたいと思います。
まず前提として、<洗濯屋鬼桐>は人手不足ではないものの、重要なポストが空いている、という状態でした。それは、先天的な能力が無いと見れない、“憑依ジミ”というシミを見て取る仕事。長年そのポストに居た人がお亡くなりになり、3年が経っていました。その仕事がしなくても、店主鬼桐さんだけの<洗濯屋鬼桐>は回っていたようですが、それでも不都合はあったかもしれません。
そんな中で、先に俎上した茶子さんは、住み込み可という張り紙を見て、<洗濯屋鬼桐>の門を叩きます。しかし、鬼桐さんは、そんな張り紙は出していない、と言います。でも、茶子さんは確かに見た。ということでその張り紙を一緒に見る事に。しかし、その張り紙は全くの白紙にしか、鬼桐さんには見えない。だから単なるいたずらだろうと、放置していたのです。ですが、そこには文字が、実際書いてあったのです。ここまでくれば諸賢にはわかるでしょうが、敢えて言うなら、その張り紙は、“憑依ジミ”で書かれていたのです。これを見る事が出来るなら、鬼桐さんの役に立つから、もしいいなら門戸を叩いて欲しい、と。その他、鬼桐さんのウィークポイントとかを色々書いてあったりしたのですが、それはともかく、茶子さんには“憑依ジミ”を見る能力がある、とここで提示される訳です。それがあると助かる、のと、その張り紙を書いた故人のこともあり、鬼桐さんは茶子さんを採用するのでした。
もう既にだいぶエモーショナルなんですが、それ以外でもちょいちょい、“憑依ジミ”関係で張り紙を書いたトキエさん(故人)の話が出てきたりしまして、そしてそれらの話を踏まえてからの、12ページを描き下し小カットを見ると、こう、ああ、良い。という感情が体を駆け巡るのです。エモーショナルという言葉すら追いつかない、ひたすら心地よい感動の場面なのです。でも、絵としては大変素っ気ない。そんなそぶりを見せもしない。というのにこの、この!
という訳で、この12ページ目の良さを体感する為に買って読む、というのは全然ありなんじゃないか。というか全人類がそこを通過すれば世界が変わるんじゃないか。という無茶苦茶すら思ってしまうのが、『鬼桐さんの洗濯』1巻なのです。
さておき。
この漫画、洗濯屋さん漫画なので、汚れの取り方の話が結構しっかりあります。ファンタジーな相手のそれも、原因を辿れば既存の汚れ取りと基礎は同じ。という立ち振る舞いで、そこにファンタジーなコーティングなども混ぜつつ、お仕事物としてきっちりとしているのも、この漫画の良さと言えるでしょうか。オーラが一日でガンガン減る魔王のコートとか、ちょっとそれは色んな意味でいい仕事すぎやしませんかねえ!
とかなんとか。