同じ位置、同じ位置、同じ位置。

この項について

 皆さん、ご機嫌いかがですか? 問われる前に機嫌は自分で整えるのがベターですよ?
 という妄言はさておき。今回は自分で自分の機嫌を取る為に、ここに駄文を書き連ねていこうという格好となります。かなり適当に書くので、整合性とか無視します。その点は先に記しておきたいと思います。
 さておき、何ゆえに何か書くのか、というのはまあよくあることです。ツイッターで見た文字列を自分の中で勘案して、発せる形になった時にはもうツイートが忘却の彼方、というやつです。そこで勘案したこちらの気持ちの持って行き場所が、ここになった、ということです。見たタイミングで書けなかったので、完全に古美門顔で「あの時言えてたらなあ!」なんですが、折角勘案したので、一回出力しておかないと脳のタスクが解消しないのです。
 ということで、自分の家なのを良いことに、適当に語らおう。それがこの項となります。

何を見て何を思ったのか

 そういうの良くない。と言いたいことをここに書き連ねていきます。
 さておき、その気になったツイートの内容が今一記憶に残ってない、部分部分は覚えているんだけど繋がりが分からん。ということで、検索しろよ案件なんですが、そこはあえて印象だけで言う、という愚策に出ます。
 で、愚策で思い出すだけにすると、確か話題のモルカーで「人間は愚か」とか呟いているのは、昔”㌠”つけてただろとか○○のふれんどなんだね! とか言ってただろとか、有体に言えばそういう類の話です。
 個人的に一瞬は「お、そうだな」とは思ったんですが、なんかその後がもやもやとしてよくない。なんだかとてもよくない。
 というので掘り下げてみたんですが、どうも別にそういうやつが居ることは問題ないんじゃないか? ということが引っかかるようです。いいじゃん、そんな人が居ても。でも、そのツイートのトーンでは、それは良くない、というかあしざま? だった訳です。あざけりという感じが一番ピンとくるでしょうか。
 で、そんなに馬鹿にすることであるか? 別に、色々なコンテンツを流れ流れていつか、しても問題ないだろう、という立場と言えばいいでしょうか。
 なんか流れが来てるから言っとけ。
 そういうタイプな人だっているでしょう。その人のことを一瞬おかしくも思うんですが、でもそれで悪いわけではない。とも思い直したりするのです。
 誰も強制してないし、誰も抑制していない。そうしたいからしている。
 あるいは『銀河鉄道999』のOP、当然ささきいさお版でいうなら、

人は誰でも幸せ探す旅人のようなもの
希望の星に巡り合うまで歩き続けるだろう

 そういうものだと思うのです。
 ただ流れがあるから乗る。そういうのが悪いことなのか。いつかその人がその流れから掴む物があるんじゃあないか。
 それを、あしざまに言えば格好がつく。とする思考のダレ場に自身があることを気づかない点の方が、あるいはなんか言っとけよりたちが悪いのでは、とも思うのです。
 適当に尻馬に乗るのがいけないなら、そういうあげつらえをするのもまた、尻馬に乗っている、という矛盾を解決してからにしていただきたい。そう思うのです。

別に他人が流行に乗ってるの、気にしなくてよくね?

 話がやや逸れです。適当に流行に乗る人の話です。戻ったところで、これが悪いことであるか、という話をしていくことにします。
 流行に乗って言ってみる、やってみる。確かに、それらは尻馬扱いはされるでしょうが、悪とまで言えるのか? という疑問が当然のように励起します。あるいは、尻馬という言葉が悪い意味なのか? まで掘り下げたいくらいです。しかし、それをやるには私は知識不足ですので、そこはあえて寝る! の勢いであえて無視して進みます。
 尻馬に乗ることが悪い、と私は思わない。
 そういうスタンスをここで提示しますが、この理由については、なんで他人の行動を気にするんだよ、という点に尽きる。究極すれば、自分の視点が他人に脅かされるとか言ってるのはすくたれものだ、とも言えます。
 他人の言動で、何か棄損されることがある、というのは理解可能です。そういうこともあるし、そこにいくとよくないこと、という判断は出来る。
 しかし、単に「人間は愚か」程度のことで、それも流行りに乗って軽々に流れてくる言葉に棄損されるのか、お前は。そういう言葉も出てきます。
 モルカーを見ていて人間は愚か、というのはふっと出るのは分からんでもない。でも、皆同じ感じで言うの、あれじゃね? と言うのかもしれませんが、そういうことにセンシティブになり過ぎている自身がめめなんです。オタクとして確固とあれ、とまで言うまでもないんですが、それをあげつらう程度のことでそれの上取れるという意識自体に、私は苛立ちを覚えるんですよ。お前、㌠の時もフレンズの時も同じ事を、同じように問題提起面やってたんじゃねえか?
 ですが、他人がどうしていようが、基本そーなのCARでええやん。なのです。そこは、どうせこっちで制限出来る世界じゃないんですから、そういうものだ、って割り切る、と言うと変ですね。受け入れる、でしょうかね。とにかくそう受け取るものじゃないか、って思う訳です。
 確かに、流行に乗るばっかり、と揶揄する気持ちも、そういう人を見ると一瞬はてな? ってなるので分からんでもないんです。しかし、それはどうやっても改善しようがない。揶揄しても何にもならない。
 なら?
 まず、他人を変えるより自分を変える、というのではないです。単に自分もあるがままである、変わりなく、気にしない。
 流れがある。どうするか。伸るか反るか。流行に乗りたきゃ乗るし乗らないなら乗らない。そういう所作が必要と思うんですよ。

そもそも論

 先に触れましたが、そもそも流行りものに乗ってるのを揶揄する、というのもまた一つ、流行りものに揶揄する流れに乗っている、という点も注意が必要です。自分は流れに乗っていない、という言い草をする流れに乗っているんですよ。
 しかし、そこは苛立ちはすれ否定するべきではないのかも、と書いていて方向が修正されつつあります。
 というのも、流行に乗ってる感じを出す、という人にそれぞれの積み重ねがある、という話をしようと思ったんですが、そういうなら流れを揶揄する流れに乗っているのもまた、それぞれの積み重ねがあるのでは? という地点に到達したからです。
 そもそも、流行りに乗って言っている人、というのが、すべて同一人物であるかのようなすり替えをしている言が、揶揄する言葉のイラつく一つのポイントなんですが、それは揶揄をする人も同じではない、というポイントがあります。
 同じように流行に乗って言っているけど、それぞれ違う人である。どういう積み重ねで、同じような人とされているのかも、人によって違う。本当に全部同じ人でも、それはそれでの積み重ねがある。軽々に言えないだろう、と。
 マキシマムザホルモンの<予襲復讐>の歌詞から引用すれば、

例えば、その量りの針が指した重さ100グラムと
一周回った1100グラムの針は同じ位置。同じ位置。同じ位置。

 同じように流行に乗っていても、それが100グラムなのか11000グラムなのか、あるいはもっと積み重なっているのか。それは当人にしか分からない。あるいは当人すら分かっていないかもしれない。
 そういうのの中から、流行に乗るという選択をする、というのは、だから簡単に否定できないのでは? という話にしようと思っていたんですが、そういや、あしざまに言う方にも積み重ねはあるよね、という事に気が付いてさっぱり訳が分からなくなりました。

一生一緒にメガフレア

 ただ、あしざまに言うのは良くないというか、教養が無いって思うんですよ。オタ教養というのをちまちま考えていますが、最近では教養の立ち振る舞い、というかこう出来たら教養があるのでは? という地点を見つけたのです。
 それが、リスペクトを出来るか、というものです。もうちょっと砕けて言うと距離を取れるか、でしょう。砕け過ぎて原型留めてないですが、それはまあいいじゃん。
 で、距離を取れる、というのは一種リスペクト出来る、という風に考えているがゆえに出た言葉ですが、あなたは、そうなんですね。という所作をするのは、リスペクトであり距離を取ることである、とすれば意味合い的にはイコールにしてもそれ程違和感はないかと思います。
 この距離を取る、というが出来てないから、あしざまに言う人というのに、なんかイラァとするのだな、という風になる訳です。ここでイラァとするのと距離を取るのは同時に出来ることであると示すこともできます。そういうイラァってなることするんだあ……。という距離の取り方です。それはリスペクトではないのでは? ですが、リスペクトの時と同じ行動すればactuaryリスペクトです。つまり、リスペクトではあるのです。強引ですね?
 さておき。
 あしざまにする人には、やはりリスペクトが無い、という位置で話を続けます。
 リスペクトが無いとどうなるか、というと、当然マウントをとってもいいのだろう? って形になりやすい。上に立てると唐突にマウントをするのは人間のサガです。
 相手が、私が分からないけど同じようなこと言ってるやつらの中だから下に見ていいな、ってなる訳ですよ。
 はい、これがよくない。マウント取れるぜヒャッハー! ってなるのがもう自分が上からマウント取られるネタ振りみたいで、あれ。
 そういうマウントのマウントを取りたくなる所作を、恥ずかしげもなく、後自分はオリジナルだという謎の自負みたいなものをもってよくある印象批判するんだから更に、あれ。
 しかし、それは翻って自身にも積み重ねがあるように、相手にも積み重ねがある。そこを無視するのは、手としては愚である。となるかと思います。私もその愚を犯している気もしますが、そこはまあ、人間ってのは矛盾しているね。ということで。
 よし、訳分かんなくなってきた!

まとめ。そうねえ。

 あれです。なんか相手の積み重ねをというのを無視する言動って腹が立つしよくないってことです。前に音ゲーが高難度曲ばかりになって廃れるとかとぼけたことを聞いてキイキイしましたが、そういうのもやはり曲を作る人の営為とか、それをゲームとして形作る人の営みとか、プレイヤーの修練とかがある、つまり積み重ねな訳で、そういうのが積み重なって高難易度曲という一つの頂がある。しかし、そこだけじゃあ当然ないからジャンルとして一大勢力な訳ですよ。そのことがすぱっと抜けてるから、すぐ廃れるとか言い出すんですよ、あんたたちは!
 と軽くキレたところで、まとまってないのでまとめましょうね。
 と言っても、相手の積み重ねを棄損するのはよくねえよな、ということですが。それだけが長かった……。
 と言う事ですっきりしたので今回はこの辺りです。