沢真:柴田ヨクサル『ヒッツ』1、2巻感想。あるいは漫画モンスター柴田ヨクサル

ヒッツ(1) (ヒーローズコミックス)

この項について

 今回は柴田ヨクサル原作、沢真作画の、『ヒッツ』についてペラペラと軽い口を叩きます。
 そもそも『ヒッツ』とは? ということで軽く説明をしていきます。
 『ヒッツ』は、とある少年殺し屋コンビ、ヒッツのお話。
 ですが、この殺し屋コンビ、実は同一人物です。訳が分からないでしょうが、まあ聞いてくれなさい。
 少年殺し屋トミタユズは、とある仕事の後に、これから殺し屋と殺し合いをしてもらいます、という暗黒金持ちの興味本位のアレに巻き込まれます。
 しかし、その相手というのが、よりにもよってトミタユズ。
 なんと自分自身なのです! 自分が目の前にいる、なのです!
 これは、ある意味では単純な話です。そのトミタユズは別の世界線から来たトヨタユズだったのです。
 そういう訳で、殺し合いする以前の問題で意気投合してこの殺し合いを無効にしてしまう形に。
 これにより、殺し屋コンビ”ヒッツ”が誕生することになったのです。
 そのヒッツの話、な訳ですがこの漫画が生半にいかないのは、原作が柴田ヨクサル先生であることです。
 いきなりですが、柴田ヨクサルという漫画家を皆さんはどう見ているでしょうか。
 私は柴田ヨクサル先生は漫画モンスターだと思っています。人によって、漫画モンスターという称号を与える漫画家は違うと思いますが、柴田ヨクサル先生は漫画モンスターの最大公約数を得られるくらいには、漫画モンスターでしょう。
 この漫画モンスターが、原作という一歩引いたところから漫画にかかわる、というのは他にもあったようですが、『ヒッツ』はそんな原作柴田ヨクサルが超理解出来る作品です。
 コマ割り、キャラ設定、台詞回し、台詞センス、魅せコマの使い方、とにかくすべてが柴田ヨクサル漫画なのです。ただ、絵だけが違う柴田ヨクサル漫画なのです!
 身長体重体格骨格体毛の濃さまで全て柴田ヨクサルなのに、目と鼻と口が違うので、てめえなにもんだぁー! というボンガロテリーが言いそうな感じになります。
 それくらいに柴田ヨクサル漫画を柴田ヨクサル絵以外でやるという魔技がそこにあるのです。
 実際問題、この魔技は柴田ヨクサル漫画に知悉していればしているだけ効果的に作用するレベルです。そこまで知悉してない自分でも、柴田ヨクサルだー!! ってビックボルフォッグだー!! 調で言ってしまうくらいには柴田ヨクサル味です。あまりにも柴田ヨクサル漫画なのに実は柴田ヨクサル漫画ではないのです。なんだこれは!?
 というか、ほぼ完成に近いネームをもって沢真先生がこの漫画を仕立てている、と言われてもにわかに信用するレベルです。本当にそうかもしれないし、違うかもしれない。その辺具体的に知らないのであれですが、それくらいどう考えても柴田ヨクサル漫画なのです。
 これはつまるところ、柴田ヨクサル様式、というのが漫画読み内に醸成されている、という証左かもしれません。しかし、それは人間に可能なのか? という気もします。
 柴田ヨクサル先生が漫画モンスターである、と先述しましたが、その理由は色々あるんですが、端的にいうと天然で計算高いという、若干以上に意味不明な漫画家存在だからです。
 天然と計算高いは対偶の位置にあると思われがちですし、実際対偶なのですが、柴田ヨクサル先生に関してはこれが両立します。
 柴田ヨクサル先生は大変計算高い漫画家です。と書くと何言ってんだ! ふざけるな! そいつは俺が! というかたもいらっしゃるかもしれません。その気持ちもわかる。どうなってんだよ!? みたいなのが柴田ヨクサル味ですから。計算している感じに見えない。
 しかし、だからこそ天然なのです。柴田ヨクサル先生は天然自然に、我々には分からない計算を行っているのです。
 個人的にそう強く感じたのは柴田ヨクサル先生の代表作『エアマスター』の深道バトルロイヤル編終盤の、渺茫とジョンス・リーの鉄山靠勝負で地下に下りていったとこです。
 この辺りでラスボスかな? だった渺茫は上に、マキは地下にいるという状態から、またノコノコ上がっていってたら間が持たない場面がありました。
 これどうするんだ? と思ったとこで、上から鉄山靠勝負で順繰り下りてくるという、ジョンス・リー戦をしつつマキの場所まで行く過程が異物全開で見せつけられます。そういうことある!? という驚きをもって私を打ち抜きました。
 ここで適当に下りるというのをせず、ド派手に辿り着きつつ、ジョンス・リー戦も消化する、という魅せ場と理の両方を兼ね備えた名シーンです。単なる天然ではできない、でも一般には見えない合理には満ちている方法論ですよ。
 なので、柴田ヨクサル先生は天然自然にこの異形の計算力を持ち合わせている、というのが私の柴田ヨクサル評なのです。
 それが『ヒッツ』でも十全に満ちています。柴田ヨクサル先生特有の合理に満ちた、しかし傍目には無茶としか見えない凄まじい展開。
 そもそも自分と自分で殺しあえ、という無茶から始まって、しかし自分だから殺すわけねーだろー! と当然に帰結してから、更にトミタを好きな女の子、唐墨さんが出てきたり、それを殺そうとするやつと一緒に唐墨が身の安全をと依頼した探偵&殺し屋も同時にヒッツのいる同じ学校同じクラスに転校してくるし、というのであっちやこっちやでわちゃわちゃしていく流れに淀みがありません。
 この唐墨さん絡みの展開はスピーディーでありつつ複雑に絡まっております。探偵&殺し屋の組の変な関係性とその過去とか、唐墨さんのトミタへの凄い惚れ込みようとか、針の殺し屋が体育中に殺そうとしたりする引き金の軽さとか、とにかくごちゃごちゃしています。
 この交錯を最速スピードで繰り出せるのは柴田ヨクサル先生の熟達と、沢真先生のそれを受けきる技量があって初めてなせる業、という塩梅で、やるじゃないかマジェント……。って感じで感心しきりです。
 この『ヒッツ』は、人に出来るのか? と思っていた柴田ヨクサル様式が実際に別の漫画家によって出来ると証明されている、用例として挙げることが出来る、とまで言えます。
 これにより、柴田ヨクサル先生がしたい漫画を、実質二倍の効率で出来るようになった、という考えすら持てます。
 柴田ヨクサル漫画の多重展開!
 漫画読みなら、好きな漫画家さんが一つの作品にかかりきりになってしまうのに焦燥感を持つことがあるでしょう。私は八房龍之助先生がスパロボOG漫画にかかりきりなのが、大変焦燥感を駆り立てられるのですが、この様式の多重展開というのがもっと一般的になれば、原作としての漫画になるにしても沢山のその好きな漫画家さんのエッセンスが溢れる、という感じになるかもしれない、とか思っています。
 まあ、『ヒッツ』の場合はエッセンスというより原液垂れ流しですし、ここまで様式として既存の型があるほうではない漫画家さんもいるから、難しいところではあるとは思います。
 でもそういう夢をみるくらいには、原作の原液に満ちた漫画。それが『ヒッツ』なのです。